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2020-04

Mac OS X Leopard をインストール

いまさらですが、Mac OS X Leopard をインストールした。パソコンは、MacMiniでIntelプロセッサをはじめて搭載した機種。

すでに、いろいろな情報があると思いますが。私の場合。

インストール自体は問題なくいきました。

とりあえず、一番便利になった機能は、ファインダーのファイル・プレビュー機能が強化されたこと。デジカメで撮った写真やビデオが、かっこよく便利に概観できる。これだけで、ちょっと楽しめました。
小さいことでは、ドック上にあるカレンダーがアイコン状態で最初から今日の日付を表示していること。
ダッシュボードにあるパネルゲームの絵柄が、トラからヒョウに変わったこと。なるほど、Tigerだからトラだったとは気づかなかった。

後はこれからですが、ざっと試したところでは、あまり問題ないかと。一安心。

ヘルマン・ヘッセ「ガラス玉演戯」

ガラス玉演戯ガラス玉演戯
(2003/12)
ヘルマン ヘッセ

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 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 昨年は、一年かけてトルストイの大作を3つ読んだ。「戦争と平和」、「アンナ・カレーニナ」、「復活」であった。どれもすばらしかったが、もう一度振り返ると一番読むのが大変だった「戦争と平和」が懐かしい。またいずれ、齢を重ねてから読んでみたいものだと思う。

 今年の最初の読書は、ヘッセの大作「ガラス玉演戯」にチャレンジする。この小説はヘッセの最後にして最大の小説でありノーベル文学賞受賞のきっかけにもなった作品という。ところが、文庫化もされておらず、単行本も古本ですら手に入りにくい状況であった。

 ヘルマン・ヘッセ全集が刊行されていたので、それで読もうと思っていたのだが、2006年にブッキングという復刊を手がける出版社から再版されていた。新潮文庫で読みなれた高橋健二氏の翻訳なのでこちらを選択し、アマゾンで注文した。

 二段組で500ページと、かなりの分量である。難解で特殊な作品とのうわさは聞いていたので、果たして読んで理解できるか少し心配していたが、序盤を読みはじめて、これならなんとかついていけそうだと、うれしくなった。

 物語の舞台は西暦2400年頃のカスターリエン地方という架空の土地で、ヨーゼフ・クネヒトというガラス玉演戯名人の伝記という形をとっている。ガラス玉演戯というのは、説明がむずかしいが学問と芸術と宗教を統合したようなもののようだ。たしかに難解なところも多いが、読者を突き放して進んでいくような作品ではけっしてなく、まぎれもなくヘッセの世界が展開されている。先を急がずにじっくりと味わって楽しみたいものだ。

あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。


昨年は各ブログにあたたかきコメントなどいただき、ありがとうございました。


今年もまた、フロイトを読み、こぼれ話を書き、その他の話題も書き、と充実したブログ生活をめざしていきたいと思います。


よろしくお願いいたします。

ミュージック・オブ・スター・ウォーズが届いた

ミュージック・オブ・スター・ウォーズ R2-D2型スピーカー同梱JAPAN LIMITED EDITION』ミュージック・オブ・スター・ウォーズ R2-D2型スピーカー同梱JAPAN LIMITED EDITION』
(2008/01/16)
ジョン・ウィリアムズ、サントラ 他

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注文していた日本限定版のスターウォーズ前三部作のサウンドトラックCDが届いた。

まだ、箱を開けて中身を確認しただけなのだが、とりあえず報告。

まず、ジャケット写真だけど、これは明らかに新シリーズの方のイメージだな。
全編の主人公が実はダースベイダーというのはいいにしても、赤っぽい色と青っぽい色に半分ずつ照らされて、何か善と悪の間で悩んでいるように見える。

中身はLPで出た前三部作のサウンドトラックを再現している。2枚組みのLPジャケットをミニチュアにして、CDの裏側(記録面ではない方)には、おそらくLPの時に真ん中に貼ってあったラベルの模様が印刷されている。そして、ライナーノートを書いた紙や当時付録でついていたポスターやブックレットも再現されている。CDの内容は、当時のそのままではなく、音質改善させた上で未収録曲なども含まれているようだ。

以上の6枚のCDに加えて、ボーナスCDとして、全6作からいいところを集めて作られ、市販されなかった幻のCD(コレリアン・エディション)というのがついている。これは期待できるかも。新シリーズの音楽もよかったからね。

他の付録としては、ポスターなどの画像を納めたCD-ROM、R2-D2型スピーカー2個、オリジナル・ステッカー(特別版サウンドトラックのジャケット写真と同じもの)、全6作のロードショウ時のチラシを本にしたもの(ただしこれは、ソニー・ミュージック・ショップから購入した人にだけつく)がある。
スピーカーはあくまでもおまけ的なものなので、これに重点をおいて購入するとがっかりするかも。
チラシの本は、個人的にはかなり懐かしかった。スターウォーズのチラシをプラスチックのシートに入れて下敷き代わりにして、勉強の合間にも何度も眺めていたのだった。
最初のロードショウの後で、日本語版スターウォーズというのも上映されて、それももちろん見に行ったのだが、そのチラシもちゃんと入っていた。
チラシの裏側に印刷されていた宣伝文句もそのまま再現されており、時代を感じさせておもしろい。

以上、まだ音楽は聴いていないのだが、とりあえずそんなところでした。

グラディーヴァ終了

「あけおめ」の記事からずっと放置してしまった。これでは、充実したブログ生活というわけにもいかないな。

だいたい、メインのブログに追われて余裕がないと、こちらや、趣味のブログの方は滞るという法則があります。


メインのグラディーヴァがようやく終わった。年末年始をはさんだことやなにかで、だいぶ引き伸ばしてしまった。

実は、この論文を読むために、まず種村季弘氏の訳でイェンゼンの小説を読み、そして単行本に収録されたフロイトの論文も読み、その上で全集でもう一度フロイトの論文を読みつつ、イェンゼンの小説もあちこち参照していたので、通常よりだいぶ時間がかかってしまった。しかし、そのぶんよく理解できたと思う。

ただ、全集の方の訳者は、もしかしたらイェンゼンの小説は読んでいないのかな、と思われるところもあった。


次は、「精神分析について」。少しペースをあげていこう。

ミュージック・オブ・スターウォーズその2

ミュージック・オブ・スター・ウォーズ R2-D2型スピーカー同梱JAPAN LIMITED EDITION』ミュージック・オブ・スター・ウォーズ R2-D2型スピーカー同梱JAPAN LIMITED EDITION』
(2008/01/16)
ジョン・ウィリアムズ、サントラ 他

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ミュージック・オブ・スターウォーズの追加報告。
中身のCDは、2004年に発売されて現在も購入可能なStar Wars Trilogy (Box Set)およびそのばら売りの物と同じのようだ。おまけの「コレリアン・エディション」も輸入版で手に入れることができる。また、同じ構成でR2-D2型スピーカーのついていない輸入版はマーケットプレイスなどで手に入れることもできる。

というわけで、これを購入する人は、LPを再現したミニジャケットやおまけを目的なのであろうな。私はそこまでよく調べないで買ってしまったが。

入っていた解説によると、スターウォーズ(エピソード4)のサウンドトラックには、以下のバージョンがある。

a 1977年に最初に発売されたLPアルバム
b 1993年「スター・ウォーズ・アンソロジー」(CD)
c 1997年「スター・ウォーズ:新たなる希望」オリジナル・サウンドトラック(CD)
d 2004年「スター・ウォーズ:エピソード4――新たなる希望」(CD)

bは、aをCD化するにあたって、新たに曲を追加したり曲を延長したりの変更がある。そしてなぜか「酒場のバンド」というけっこう重要な曲がけずられている。
cは、aとbの構成を変更している。もともとのaは、映画に使われた曲を組み合わせて、全体でひとつの組曲のようになるよう構成されていた。cでは、それらをもう一度ばらばらにして新収録の曲も含めて、映画の場面順に再構成したものという。dは、内容はcと同じでDSDデジタルリマスタリングしている。

要するに大きくわけると、aとcの2つのバージョンがある。そして、今回のボックスも含めて、現在手に入るサウンドトラックはほとんど後者のバージョンなのだ。
私は、cをすでに持っていた。最初にスターウォーズを見た時には中学生だったこともあり、サウンドトラックLPは購入しなかった。誰かに頼んでカセットテープに録音してもらった覚えはあるが。残念ながらそのテープは残っていない。

今回、せっかく最初のLPを再現する企画をするのであれば、内容もaにして欲しかったと思う。さらに言えば、LPジャケットを再現するなら、ミニチュアでなくオリジナルの大きさにして欲しかった。さらにさらに、再生できるLPレコードも再現してもらえれば最高だった。

読解状況

フロイト全集第九巻の読解状況。

「精神分析について」が終わって、短い論文を読んでいく周期に入った。

現在は「強迫行為と宗教儀礼」を読んだところ。


新年があけてから、メインのブログのアクセス数がそれまでより伸びるようになった。

昨年後半までは、1日あたり30、1ヶ月あたり900超くらいでかなり安定していた。

それが、今年1月のアクセス数は計1643を記録した。1日あたりでいうと50超くらいになる。

ここ数日はやや低迷傾向なので、この伸びが今後も続くかどうかはわからない。


以前からときどきお邪魔していた、セーイチさんのブログ「発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 」に、最近は頻繁に行ってコメントをするようになってしまった。

ここに出没している常連コメンテイターは、かなりの個性派の面々で、実におもしろい議論が展開されている。はらはらもするが。常連さんはそれぞれに自分のブログなどを持っているが、セーイチさんのところで盛り上がるのは、やはり管理人の人徳なのだろうなと誰かも言っていたが、確かにそう思う。



amazon.deでまた購入

最初の購入が順調だったので、独語版全集の6巻と8巻を購入。

合わせて、イェンゼンの「グラディーヴァ」とフロイトのグラディーヴァ論を一冊に収録したペーパーバックを注文した。
送料は、一冊注文した時と同じだったので、やはりまとめて注文したお得だなあと思った。


ところが、商品が到着して「あっ」と思った。
「グラディーヴァ」が英訳だったのだ。


よく見れば、”Gradiva: Delusion and Dream in Wilhelm Jensen's Gradiva (Green Integer)”と英語で表示されているのだから気づかなくてはいけなかったが、独語のサイトで注文したからてっきり独語の本かと思ってしまっていたのだ。
これからは気をつけないと。



バランスボール

ALINCO エクササイズボール EX-017 65cmALINCO エクササイズボール EX-017 65cm
(2002/09/01)
不明

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以前にメインのブログの「私の健康法」という記事で、日常的に運動をするという、あたりまえな健康法を紹介した。
その後も、メタボ寸前の最大体重から5kg減の状態をキープしている。

日常的な運動には興味があり、あまり高くないものであれば器具も購入して楽しんでいる。
その中でよかったのが、これ。
バランスボールである。

ボールをふくらまして、椅子のように座ってみる。
これはなんとかできる。
その状態から、片足を床から持ち上げてキープ。
これが、けっこうむずかしい。
バランスを維持する力が衰えていることを実感した。
バランスを崩しそうになったところで、「うっ、うっ、うっ」と、身体をすばやくねじりながらなんとか維持。
これが、普段使わない身体の中心部の筋肉を使うようだ。
翌日は、腰を中心とした筋肉痛が。
そして、慣れるとだんだんうまくできるようになるし、日常生活の中で気軽に続けられる。

ただし、これをするためには、家の中にある程度のスペースが必要。
それと、床に虫ピンなどが落ちていないか充分に注意するように。
実は、最近たまたま落ちていた画鋲でボールをしぼませてしまったのだ。
テープのようなもので補修を試みたがどうもうまくいかない。
調べたら、たとえ出来たとしても、これはやってはいけないことだったようだ。

穴のあいたバランスボールを補修して使用することは絶対にしないでください。

突然破裂したりしたら危険であるということ。

再購入を思案中。同じのを買うのは悔しいので、もうワンサイズ上の75cmくらいのものをと思っている。
一般的には、65cmは身長165cmくらい、75cmが175cmくらいに向いていると、本には書いてあった。

フロイト「人はなぜ戦争をするのか」

人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス (光文社古典新訳文庫)/フロイト
¥620
Amazon.co.jp


中山元の訳と編集で構成された、光文社古典新訳文庫の<フロイト文明論集>二冊目として刊行された。
収録論文は以下のとおり。


人はなぜ戦争をするのか(1932)
戦争と死に関する時評(1915)
喪とメランコリー(1917)
心的な人格の解明(「続精神分析入門」第三十一講,1933)
不安と欲動の生(同第三十二講)


巻末には訳者の六十数ページに及ぶ解説と、フロイトの年譜が収録されている。
収録論文はすでに著作集などに翻訳のあるものばかりであり、そういう点では目新しさはない。
むしろ、この本は「死」というテーマにそってフロイトの思考過程を追った全体の構成にこそ、編訳者中山元氏の主張があるものと思われる。



巨大な真珠(ギムニクのバランスボール)

ギムニクフィットボール75【バランスボールフィット75】ギムニクフィットボール75【バランスボールフィット75】
()
不明

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前のエクササイズボールが壊れたので、今度はこちらを購入してみた。

ギムニクという会社は、この手のバランスボールでは老舗のメーカーらしい。
同封されていた説明書には、バランスボールの開発された経緯の歴史などが書かれていた。
子供が乗ってぴょんぴょんはねて遊ぶ塩ビ製のロデオもこのメーカーのものだった。

75cmのサイズを購入したのだが、最初にふくらましたら、前の65cmのものよりも小さいような気がした。
違う商品が届いたのかと思ったくらいだが、確かに本体にも75と書いてある。
どうやら素材の性質上、すぐには大きくならないようで、時間をかけて少しずつ空気を足していくとだんだん伸びていくようだ。最初にあった皺もとれてくる。
空気入れは付属しておらず、専用の空気入れを購入するよう書かれていたが、一般的なビニールプール用のポンプで入れることができた。
前のボールよりもしっかりと硬めの素材のようだ。
乗って運動をしてみても、前のボールよりもふんばる力を要するように感じた。
色はとても綺麗で、巨大な真珠が置いてあるようでなかなか美しい。
けっこう大きいものなので、部屋に置いたときのインテリア性も大事と思った。

全体としては、バランスボールとして使用する上では大差はない。
前のALINCOの物がアマゾンで大幅値引きになっていたのでコストパーフォーマンスは高かった。
それに比べると、ギムニクの品は送料もいれると4倍ほどの値段になる。
インテリア性なども含めて長く使うことも考えればそれだけの価値はあったかなと思うが。
それぞれの事情に合わせて選択すればよいでしょうね。

それと、写真にも小さく写っているが、この商品が梱包されてくる箱には、レオタードを着たムキムキのお姉さんお兄さんがバランスボールを使って楽しそうに運動している写真が印刷されていて、これがかなりインパクトあるものだ。
購入される方はお楽しみに。

ALINCO プッシュアップバー EX-027

ALINCO プッシュアップバー EX-027ALINCO プッシュアップバー EX-027
(2002/09/01)
不明

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自宅で簡単にできる筋トレといえば、なんといっても腕立て伏せ。
なぜなら、上半身を鍛えるのは男のロマン。
というのは冗談にしても、普段肉体に負荷をかけない生活をしている人においては、上半身の筋肉は極端に萎縮してしまっているんですね。
下半身は、歩いてさえいればそれなりに鍛えられているのですが、上半身は使わない。
ですから、普段使わない上半身は、少し鍛えただけでも大きな実感が得られるのですね。
おー、大胸筋が厚くなってきたぞーとね。

で、その腕立て伏せですが、効果的に行うのは意外にむずかしい。
そこで、このプッシュアップバーというグッズを使うわけですね。
しっかりとグリップを握るので、力が入りやすい。
がぱっと胸を開いて腕に対して深く沈みこませることができるので、大胸筋への負荷をしっかりかけられるというわけ。
さあ、これを使って男らしい肉体を手に入れよう!

人権擁護と人権侵害

 マイミクのQTAさんのところで今更ながら知ったことなんですけど、3月15日(土)に「人権擁護法案」が国会を通過する予定みたいなんですね。...
人権擁護と人権侵害



いつも心理学の議論で盛り上がっているセーイチさんのサイト「発展途上サイコロジストの航跡blog版」の最新記事「人権擁護と人権侵害」では、これまでとは違って「人権擁護法案」という政治的問題について議論されている。

ネット上では一部のブログや掲示板で、この問題についての議論があるが、マスコミではあまり大きくはとりあげられていない。この点がまず不気味である。

現時点(20/3/1)で、朝日、毎日、読売、産経のウェブ上で調べてみると。
朝日:「安倍前首相、保守勉強会に参加 平沼・中川氏と連携」という記事のみ
毎日2月14日の社説でとりあげている
読売2月18日の社説でとりあげている
産経:本日付「人権擁護法案 3回目会合も異論噴出」という記事

ぜんぜん取り上げていないわけではないようだけど、普通に新聞やテレビを見ていてもあまり、目に付かない。そして、とくに朝日新聞系で無視されているという傾向があるのかも。言論の自由とかいうテーマにはことさら敏感な朝日なのにちょっとおかしい。

そもそも私としては、「人権擁護法」という名前に違和感を感じる。
「人権を擁護する」というところが。
「人権」というのは、すべての人が等しく持っている権利である。
「擁護」という言葉には、どちらかというと少数派の一部の意見やなにかを、味方して保護するといったニュアンスがある。
ということで、人権を擁護するのではなく、本当は一部の人の持っている特権を擁護することを意図しているのではないか、と感じてしまう。

そこで浮かんでくるのが、同和問題。
それと、在日朝鮮人および韓国人の問題。
これらの問題は大変根の深い問題であり、いわば日本という国の無意識的コンプレクスを形成しているといってよいのではないかと思われる。

これに対して、一律に「差別はいけません」とか「人権を擁護しましょう」と言い、人権委員会による言葉狩りのようなことになったとしたら。
それは、抑圧をさらに強めていくだけの話ではないか。
コンプレクス自体は解消されずに、ますます神経症的なあらわれをするようになるのではあるまいかと、心配になる。

差別と区別

前の記事の続き。

「人権」とか「差別」という言葉がどんどん拡大した意味で使われると、本来の意図の方がぼやけてしまう危険があると思う。

人権については、まずは権力に対峙する人民の権利であるはず。
だから、人権を守るということは、権力による人権侵害を第一に問題にすべきこと。
もちろん、個人が別の個人の人権を侵害するような行動をとることもあり得る。
しかし、これを権力の側が取り締まるという仕組みを作ろうとすると、逆に権力による行き過ぎた統制を招いてしまう危険がでてくる。
だから、公権力による人権侵害の問題と、個人どうしの問題とは区別して考えた方がいいだろう。

差別は、不当な区別のことだと思う。
つまり、現状では存在しているかもしれないが、撤廃すべき区別。
すべての区別が差別ではない。

いろんな差別があるが、区別との関係で一様でない。
同和問題(いわゆる部落差別)
外国人差別の問題
男女差別の問題
身体および精神障害者の問題

この中で、いちばん純粋な差別なのは同和問題と思われる。これに関してはいっさいの区別イコール差別であり、すべての区別がなくなることが望ましい。と、言うは簡単でも実際には非常にむずかしい問題であるが。

国籍の問題については、それによる区別があるのは当然のところある。だから、すべての区別をなくすべきということにはならない。
ただ、外国人といっても一様でないという事情が日本にはある。
在日朝鮮人および韓国人と呼ばれ、日本で生まれ育ちネイティブの日本語を話しながら日本国籍をとらずにいる人々である。
私としては、これらの方々は日本国籍をとった上で民族的な伝統と自尊心を守っていったらよいし、そのために必要な法整備はするべきだと思うのであるが。
なかなか、そう簡単にはいかない歴史的な事情があるようだ。

男女差別の問題については、男と女に生物学的な違いがあり、例えば男はどうやったって子供を産むことはできないという事情がある故に、すべての男女区別すなわち差別であり撤廃すべきとはいえないと思う。
男女の区別において、どこまでを合理的な区別とし、どこまでを撤廃すべき差別とするかは議論のわかれる問題だろう。
男湯と女湯の区別なんかは、撤廃したら楽しいだろうなとは個人的には思うのだが。

身体および精神障害者(この呼称自体差別的という意見もあるがここでは一般的な語として使用する)の問題については、ハンディキャップに対して適切な区別をしないことが、逆に差別的な状況をもたらすということがありえる。
とくに軽度の精神的発達障害として最近認知されつつある注意欠陥多動性障害や広汎性発達障害に関しては、「みんなおんなじですよ、違いなんかありません」という対応によって、かえって子供たちの間での陰湿ないじめやトラブルを拡大させるおそれがある。

つまりは、それぞれの違いを認識した上で、人間として生まれた以上は同じように生きていく権利があるという、あたりまえの主張なのですね。

フロイト全集第8巻(第7回配本)到着

フロイト全集 8 1905年 (8)/フロイト
¥4,410
Amazon.co.jp

「機知――その無意識との関係」を収録


月報
ドラ娘作法教本 巽孝之
殺し屋の弱点 浅野裕一
フロイト流の「意図」と倫理 村田純一


次回配本
第十巻 『症例「ハンス」、症例「鼠男」』
刊行は3月26日予定とのこと。


次回配本との間隔が短くなったのは、今回の配本が遅れたためか。翻訳に苦労したことが、解題に書かれていた。


乳首好き

乳首。あるいは2ちゃんねる用語でB地区。
現代日本の男性は無類の乳首好きである。
あるいは、現代日本の女性は乳首を見せることに関してとても恥ずかしがりである。

たとえば、「セミヌード」なるものがある。
なにが「セミ」なのか。
それは、「乳首を見せていない」ということなのだ。
お尻とか他の部分はほとんど裸であっても、乳首が見えなければセミヌード。
なんだか妙なものです。

最近の街で見かける若い女性は、かなり露出度の高い服装をしている。
夏場ともなればもう、男性たちの目を楽しませてくれたり、悩ませてくれたりする。
だが、相当きわどい露出をしている方でも、ブラジャーはちゃんとつけている。
ノーブラで、乳首の突起がポチンというのを見せている女性は極めてまれ。
たぶん、調査すれば欧米諸国と有意差がでると思う。

ネットにおけるアイドルお宝映像などでも、
前かがみになった隙間から乳首が見えたの見えなかったのと、おおさわぎになっている。

つまり、日本の男性は、女性の乳首というものに、この上ない高い価値をおいている。
そして、女性の方がなかなか見せてくれないので、見たいという欲望はますますつのるのである。
これは、たぶん女性の陰謀ですね。
彼女らはきっと、「男って馬鹿よね、こんなものを見たがって」と、影ではせせら笑っていることでしょう。
それを知った上で、隠してじらすことで、男の関心をますます惹こうとしているに違いない。

しかし、そのような男の幻想における理想化の対象物となったのが、他ならぬ乳首であったのも偶然ではなかろう。
(すっぽんぽんで、おへそだけ隠して「セミヌード!」とかいってるパラレルワールドがあったら笑うけどね。)

まず、第一に乳首は男にとっても女にとっても、最初に吸い付いて、お口で愛したものである。

そして、乳首はフェティッシュになっている。
つまり、それは男性が空想の中で抱き続けている、「女性(母親)のペニス」の代理物となっているのではないか。
刺激して興奮するとピンと立ってくるところなんかが、実によく似ている。

そう考えると、女性はいいなあ、ペニスが2本もあって。いや3本かな。

以上、前の2つの記事と一転して、下品な記事となりましたが。
このような記事は、女性蔑視的な内容ゆえに、将来人権委員会による検閲や処罰の対象となるかもしれません。

フロイト全集第九巻読了

フロイト全集第九巻の読解を終えた。

これで全22巻中の5冊読んだのか、ふむ。


あいかわらず、その日に読んで記事書いて投稿のパターン。

それでも、刊行のペースには追いついてきている。


第九巻をふりかえると、

ずばり、

ファンタジー!

ということだったかな。


この頃、1906年から1909年というのは、フロイトの精神分析活動のひろがりにおいて充実した時期だったようです。

著作は、わりと一般向けで読みやすいものが多かったかな。

超重量級という論文はないのですが、よかったですね、九巻。

おすすめです。


次は、第8巻の「機知」。

これも、好きな論文のひとつですね。

楽しみです。


では、早速はじめましょう。



ある違和感

若い頃、そう、二十代くらいまでの時期に、ある神経症的な症状に繰り返し悩まされたことがある。
それは、ある種の入眠時幻覚とも呼べるものだが。
言葉で説明するのはむずかしいが、あえて言えば次のような感じかな。

夜、布団に入ってうとうとしていると。
口の中に、何かゴムの様なものを咥えさせられたような感覚に襲われる。
それは、微妙な違和感というか、不快感。
そして、そのものが、だんだん、だんだん、大きくなって。
不快感もだんだん大きくなって。
なんだか、そのものに呑み込まれてしまうような感覚になって。

うわー、もういやだな!
と、寝入りかけたのが覚めてしまうこともある。
そのまま寝てしまうこともある。

さて、ここまで読んで、精神分析的なことに興味のある方なら、ぴんときたと思う。

私にはさっぱりわからず、長年、なんだろう、なんだろうと思っていました。

で、ある時、メラニー・クラインの著作を読んでいて。
「幼児の哺乳瓶への不満」という内容に、はっと気づいたのでありました。

あの、違和感は、哺乳瓶のゴム製乳首への違和感だったのだ!!!

私は、主に母乳で育てられています。
ですが、離乳期に哺乳瓶を使って牛乳をよく飲んでいたとのこと。

母親の報告によると、その頃の私は牛乳が大好きで。
ものすごい勢いで牛乳を飲み終わると、空になった哺乳瓶をぽーんと投げてよこしたとのこと。

牛乳大好きな子供の微笑ましい逸話。
しかし、その実態は、「これじゃないよー!ぼくの欲しいのは!」
ということだったのかも。

この話をしても、なかなか信じてくれない人が多い。

だって、そのゴム製乳首への違和感を体験したのは、おそらく1歳になるかならぬかの時期だろうし。
その時期の欲求不満体験が記憶に残って、後になって入眠時に幻覚様に体験されるなんて。
ほんとうに、そんかことあるのか。

しかし、私としては、「そうだ、そうに違いない」と、とっても腑に落ちる解釈だったのだ。

そして、以後、なんとかその入眠時の幻覚様体験を、もう一度吟味してやろうと待ち構えているのであるが。
さっぱり、あらわれなくなってしまった。

神経症の症状は、洞察によって消え去るというのは、ほんとうなんだね。

しかし、症状は消えたけど、いまだに乳首にこだわり続けている私でした。

ヘルマン・ヘッセ「ガラス球演戯」

ガラス玉演戯ガラス玉演戯
(2003/12)
ヘルマン ヘッセ

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★★★★★

私が、ブログでの主観的評価をはじめて以来、2回目の5つ星ですね。初めての星5つは、同じヘッセの「シッダールタ」でしたね。
http://blog.zaq.ne.jp/sigmund/article/20/

そういうわけで、私の中では、ヘッセは最高の小説家となりました。「ヘッセ全集」そろえて、読み直そうかな。

「ガラス球演戯」は、ヘッセの最大の作品であり、この作品以降はもうほとんど小説を書かなかったということからも、全てがこめられている集大成的作品と言えるでしょう。ヘッセ・ファンならもちろん読むべし。ファンならずとも、是非読んでいただきたい。ただし、いきなりは難しいので、「デミアン」、「シッダールタ」、「知と愛(ナルチスとゴルトムント)」くらいは読んだ後で。

前の記事でも書きましたが、この作品はヘッセの中でも最重要のものでありながら、日本では読みにくい状況にありました。角川文庫(井手賁夫訳)と新潮社からの単行本(高橋健二訳)がありましたが、どちらも絶版で。それが今回高橋健二訳の単行本が復刊され、ヘッセ全集も刊行されて、ようやく手に入れやすくなった。

これまで読みにくい状況にあったのは、やはりこの作品のある種の「敷居の高さ」によるものだろうと思います。物語の舞台は、西暦2400年ごろのカスターリエン地方という架空の土地。そこで繰り広げられる「ガラス球演戯」という架空の実践についての、その名人ヨーゼフ・クネヒトの生涯の物語。男女の恋愛とか、戦争とか、家族とか、一般的に小説の題材になるようなことは、ほとんど表立ってはでてこない。そういう、実験的ともいえる特殊な設定の作品であり、しかもこれだけ長い、というだけで、大抵の人は二の足を踏んでしまいそうですね。でも、その敷居は、読んでみたら意外に乗り越えやすいものでした。男と男の友情、特に師と弟子の関係、そして宗教的な悟りの境地、といったヘッセではおなじみのテーマが、もっとも凝集された形で展開されています。

***********************************
* 以下ネタバレです。単行本の解説も読み終わるまで読まないほうがいいよ。 *
***********************************

大変におもしろかったけれど、到底全部を理解できたとはいえないし、特にあの結末は、どうなのかよくわからない。読後にも心に波紋を残し、その意味を問いかけるという本である。
ヨーゼフ・クネヒトは、ガラス球演戯名人の絶頂期に突然その職を辞して俗世間に戻り、そして友人デシニョリの息子ティトーの家庭教師となった。しかし、その直後、ティトーに誘われて高山の湖水に飛び込み、水死してしまう。あまりにも突然で、最後までこの結末は予想できなかった。クネヒト自身は、どこまでこの結末を予想していたのか。踏み越えようとしてとび出した時点で、ある程度予感していたとは思うのだが。少なくとも、飛び込む時には、飛び込んだら死ぬかもしれないことに気づきながらも、身を守ることをせずに、あえて飛び込んだのであった。ある意味、自殺的な側面をも持つ死である。しかし、その行為がティトーの心に、そうでなければ残せなかったであろうものを残したのであり、そこまでをも見越しての行為であったのかもしれない。
この結末の後に、ヨーゼフ自身の遺稿として、幾篇かの詩と、三篇の短篇小説がおさめられているという構成がまた心憎い。とくに、短篇小説の方はすばらしく、独立した作品としても鑑賞できそうであるが、ヨーゼフ・クネヒトの生き方と重ね合わせて読むと、また一層の味わいがでてくるのであった。

お知らせ

明日(3月29日)から、3日間、ネットのつながらない場所に行きます。

メインのブログの記事は、先にアップしてしまったので、その間の更新はありません。


あしからず。

メレシコフスキー「ダ・ヴィンチ物語」

ダ・ヴィンチ物語 (上)ダ・ヴィンチ物語 (上)
(2006/04/25)
メレシコフスキー

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以前に、メインのブログの記事「「アンケート「読書と良書について」への回答」を読む」で紹介した本である。
「読書と良書について」というアンケートにフロイトが答えた10冊の本。そこに含まれていた一冊が、メレシコフスキーの「レオナルド・ダ・ヴィンチ」(1900)である。

著者ドミートリー・セルゲービッチ・メレシコフスキー(1866-1941)はロシア人の作家。歴史と宗教という題材にこだわった作品を作り続けたとのこと。他の主要作品としては、『背教者ユリアヌス』、『ピョートル大帝』、『トルストイとドストエフスキー』、『アレクサンドル一世』、『神々の誕生』、『ナポレオン物語』、『知られざるキリスト』などがある。

本訳書は、2004年にフランスのプレス・ドゥ・ラ・ルネサンス社が再編集して半分ほどの量にして出版したフランス語版を元にしている。それでも単行本で上下巻だから、原作はすごい分量だったのだろう。出版年からして、例の「ダ・ヴィンチ・コード」のベストセラーに関連して出てきたものと思われる。現在では新刊としては手に入らないがアマゾン・マーケットプレイスで購入できた。

レオナルド・ダ・ヴィンチを題材とした伝記的な小説で、編集のおかげもあってか読みやすい。現在上巻を読み終えたところだが、ダ・ヴィンチの描写はまだ思ったより少なく、彼のパトロンであったミラノ公ルドヴィーコ・イル・モーロを中心とした宮廷での欲望と策略に満ちた話が続いている。ダ・ヴィンチの人物像には興味を覚えたところなので、後半に期待したい。

遅れているのかな

第8回配本のフロイト全集第10巻は、刊行予定であった3月26日をずいぶんすぎておりますが、まだ届いておりません。


全巻購入を申し込んだ岩波からも、特に連絡はありません。


アマゾンで調べたら、予約を受け付けていて5月29日の予定になっている。


なかなか、予定通りにいかないものなのですね。


「機知」の読解にけっこう時間がかかっているから、ちょうど読み終える頃に届くことになるでしょうか。

ダ・ヴィンチ物語

ダ・ヴィンチ物語 (下)ダ・ヴィンチ物語 (下)
(2006/04/25)
メレシコフスキー

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★★★★

『ダ・ヴィンチ・コード』がベストセラーであったころに出版された本なので、おそらくブームに乗って売れることを期待されたのであろう。新刊本では手に入らず、アマゾン・マーケットプレイスで購入したものは初版第一刷であった。目論見ほどには売れなかったのであろうが、私にとってはとてもおもしろかった。『ダ・ヴィンチ・コード』は、期待した程ダ・ヴィンチの謎にせまっていなかったと感じていたので、その不満が満たされたという気がする。

本書は半分ほどに切り詰めたダイジェスト版であり、そのぶん読みやすかったが切り貼りしているように感じたところもある。岩波文庫で米川正夫訳の完全版(『神々の復活 レオナルド・ダ・ヴィンチ』)があるようなので、いつかまた読んでみたい。

本書では、ダ・ヴィンチの魅力だけでなく、彼と交流のあった有名な人物の描写がたくさん出てくる。下巻では、『君主論』を著したニッコロ・マキャヴェッリとのやりとりと、ローマ教皇アレクサンデル六世と息子のチェーザレ・ボルジアの話が特におもしろかった。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、謎に満ちて魅力的な人物であり、フロイトも「レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期の想い出」という論文を書いている。本書を読んでいて、フロイトに影響を与えたのだろうなという描写が随所にみられた。

さらに延期か?

フロイト全集の次回配本予定の第10巻(ハンス/症例鼠男)ですが。

最初3月26日予定であったのが、アマゾンの予約販売で5月29日になっていたと前の記事でお知らせ。

ところが、なんと、本日同じページをチェックすると、6月25日の発売予定になっているではないか!

再度の延期か?!


最近『機知』の読解ペースをそれとなく緩めていたのだが、さすがに6月25日まで伸ばすわけにもいかないな。

隙間に何を読むか、そろそろ考えておかないと。


それにしても、全巻購入予約したのに(一応そのようにしないと買えないということに、最初のアナウンスではなっていたのだけど)、岩波からは延期の連絡など何もない。そんなものかな。

ブログのお休みのお知らせ

すでにお気づきの方もおられると思われますが、ブログ「重元寛人「フロイト全集」を読む」は、5月19日以降記事の更新をしておりません。


予告なく毎日の更新をやめてしまったので、ご心配なさった方もおられたようです。
とりあえず、病気とかいうわけではありませんでした。
ご心配かけて申し訳ありません。


ちょっと現実での出来事が重なって、たまたまネットにつなぎにくい状況がありました。
これまでならそのような状況でもなんとか更新していたでしょうが、今回は「もういいか」と思ってしまいました。


少し前から、毎日の更新がしんどくなっていたのも事実です。
その上、調子に乗っていろいろブログを広げすぎてしまい、自分でも身動きがとれなくなってしまいました。


数日間ですが、ネットから離れて振り返ってみたことでいろいろのことが見えてきました。
もうしばらくネットとは距離をとりつつ、これまでのこと、今後のことについて考えてみたいと思います。


メインのブログである「重元寛人「フロイト全集」を読む」は、しばらくお休みをいたします。
他のブログについては、広げすぎたところを整理しようと考えております。


期間については大体1ヶ月を想定していますが、未定です。
たまたま、フロイト全集の刊行が遅れているのでちょうどよい機会であったかなと。


リセットの後どのような形で再開するかは、その期間に考えて、またお知らせする予定です。


今後とも、よろしくお願いいたします。

ブログ閉鎖とネット活動の縮小のお知らせ

こんにちは。ネットとの距離をおいてのびのびした生活を送っております。重元です。
もともとものぐさなので、一度離れてしまうと記事を書くのもコメントするのもめんどうくさくなってしまいますね。


さて、今後のネット活動の縮小について具体的な予定がまとまりましたのでお知らせいたします。



【ブログ】


重元寛人「フロイト全集」を読む
http://blog.zaq.ne.jp/sigmund/
毎日ではなくマイペースでの更新という形で、近々再開したいと考えています。


徒然なるままにフロイト
http://ameblo.jp/shigemoto/
閉鎖して「重元寛人のブログ」に統合します。主な記事はそちらに写します。


重元寛人のブログ
http://shigemoto.blog105.fc2.com/
「徒然なるままにフロイト」と統合して残します。


重元寛人のジオログ
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/sigmund26110
閉鎖します。


ひろとん♪のゆるりんぱ!
http://blogs.yahoo.co.jp/sigmund26110
閉鎖します。


【ホームページなど】


フロイト研究会
http://www21.ocn.ne.jp/~sfreud/
更新はあまりないと思いますが続けていきます。


重元寛人のページ
http://www.geocities.jp/sigmund26110/
閉鎖します。


フロイトストア
http://astore.amazon.co.jp/unofficwebpag-22
続けます。


ミクシィ
すでに退会いたしました。お知らせをせずに、マイミクシィの方々はじめご迷惑をおかけいたしました。ここにお詫び申し上げます。


*******


現在「徒然なるままにフロイト」の記事をこちらに移行中です。
nobodyさんが開発されたアメブロからの記事移転ツールを使ってみました。
アメブロからの引越しテスト

現時点ではそのまま移しているので矛盾するところや不要な記事はこれから削除・訂正していきます。



フロイト全集第10巻到着

第八回配本のフロイト全集第10巻が届いた。

収録論文
ある五歳男児の恐怖症の分析〔ハンス〕
強迫神経症の一例についての見解〔鼠男〕
強迫神経症の一例(「鼠男」)のための原覚え書き

責任編集および解題 総田純次

月報8
タナトスの影の下に――フロイトとシュテーケル(1) 平野嘉彦
フロイトの現在――反グローバリズムと普遍性への問い 十川幸司
忘れたことを忘れさせない――フロイト<と>反ユダヤ主義 菅野賢治

次回配本は第二巻『ヒステリー研究』で本年九月末の刊行予定で作業中とのこと。

これでいよいよメインのブログも再開といきたいところですが、怠け癖がついてしまって。
いましばらくお待ち下さい。

塩野七生「ローマ人の物語」

ローマ人の物語 (3) ― ハンニバル戦記(上)    新潮文庫ローマ人の物語 (3) ― ハンニバル戦記(上) 新潮文庫
(2002/06)
塩野 七生

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以前から気になっていたシリーズだが、ついにこの「ローマ人の物語」を読みはじめている。もともと、歴史には疎い方で、特に世界史のことはごく基本的なことも知らない。大事だとわかっていても、勉強のようにつまらなく感じてしまうのであった。
ところが、この塩野七生氏の著作は文句なしにおもしろく読める。基礎知識がなくても、わかりやすい。そして、人間や社会の本質を理解する上で実にためになる知恵がつまっているのである。
おもしろい理由のひとつは、人間のひとりひとりに焦点をあてて丁寧に描かれていることだろう。そして、その見方が肯定的なのがよい。
現在は文庫本の6巻(勝者の混迷(上))であるが、序盤ではハンニバル戦記が最高におもしろかった。まだまだ先は長いが、楽しく読んでいけそうである。

塩野七生「男たちへ―フツウの男をフツウでない男にするための54章」

男たちへ―フツウの男をフツウでない男にするための54章 (文春文庫)男たちへ―フツウの男をフツウでない男にするための54章 (文春文庫)
(1993/02)
塩野 七生

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読書中の「ローマ人の物語」は、いよいよ前半のクライマックスであるユリウス・カエサルの巻に入っている。いきなり大作を読み始めたが、作者の塩野七生さんの人となりが知りたくなり、平行して読んでみたのがこのエッセイ集である。

副題にあるように、女性にとって、というより塩野七生さんにとって魅力的な男とはいかなるものか、というテーマにそった文集である。あくまでも軽いノリの文章だし、ここに書かれていることを鵜呑みにして真似をすればいい男になれるわけでは決してない、と文中にも指摘してもある。それでも、男の私としては、半分くらいはマジで読んでしまい、このような知的で魅力的な女性からイイ男と見られるようになりたいものだなあと思った次第である。
自分にあてはめてみると、ファッションについては、‥‥うーんこれは将来的な努力目標とさせてもらいましょう。内面的なことや行動面のことでは、男は楽天的であれ、ということに大いに共感した。男から見ても、例えば部下が惚れ込んでしまう上司とは、困難な状況に立ち向かいつつも常に楽天的な姿勢を持つ器の大きな人物である。そのような男に、なりたいものだ。

本書には、著者の女性としての感性が伸び伸びと表現されている。これを読んでから、「ローマ人の物語」を読み続けてみると、なるほどこれはローマの歴史を飾った数々の魅力的な男の物語なのだなあ、と思えてきた。特に現在読んでいるユリウス・カエサルには、塩野さんぞっこん惚れ込んでいるようだ。そういう意味では公平な歴史とは言いがたい面もあるのかも知れないが、読むのにはおもしろい。

塩野さんの著作を読み始めたきっかけのひとつに、フロイト関連で読んだ「ダ・ヴィンチ物語」がある。ルネサンス期のイタリアを舞台にした物語で、ダ・ヴィンチをとりまく人々の中で、ニッコロ・マキャベッリとチェーザレ・ボルジアの人物像が大変印象的であった。塩野七生さんもイタリアに住み、この地を舞台にした歴史物を多く書き、マキャベッリとボルジアについて扱った著作もある。私の中では、「ローマ人の物語」も、フロイト関連の読書の延長線上にあるのであった。

岡田温司「フロイトのイタリア」

フロイトのイタリア―旅・芸術・精神分析フロイトのイタリア―旅・芸術・精神分析
(2008/07)
岡田 温司

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前の記事で、フロイト関連の読書から塩見七生の著作へのつながりについて述べた。その共通項は「イタリア」、と思っていたところに、非常にタイムリーな本が出版されたものである。ずばり、「フロイトのイタリア」。最近読んだフロイト関連本の中では、大変にすばらしいものであった。

本書のあとがきには、以下のようにある。
「今日、フロイトへのアプローチは、大きく二つの傾向に分けることができるように思われる。ひとつは、フロイトのテクストそれ自体へと立ち戻ることであり、もうひとつは、同時代のさまざまな文脈――思想、芸術、科学、政治、文化、社会など――のなかにそのテクストを位置づけるという作業である。拙稿は、どちらかというと後者の部類に属することになるだろう。」

岡田氏の述べる二つのアプローチのうち、前者が主であり後者が従であることは言うまでもない。さまざまな文脈からアプローチするにしても、テキストの読解は必須である。わざわざこんなことを言うのも、第二のアプローチをするフロイト論の中に、テキストの読解を充分にしていないと思われるものがけっこうあるからだ。それらは往々にして、フロイト思想を、その時代の文化、社会、思想の流れの中から生じたものとして相対化し、結局その正当性や普遍性を否定しようとする意図がみえすいている。

岡田氏の著作は、そのようなありきたりのフロイト論ではない。著者自身フロイトの専門の研究者ではないというが、多くのテキストを読みこなしていることがよくわかる。そして、「イタリアへの旅」という着眼がなんといってもすばらしい。

フロイトは、イタリアへの旅の中で、数多くの彫刻や絵画などの美術品を熱心に鑑賞して回った。本書の前半ではその足跡が、豊富な写真と共に紹介されている。これらの美術作品が、フロイトに大きな感銘を与え、その著作や理論に影響したであろうというのは確かに説得力がある。

特に、「日常生活の精神病理学」の冒頭で紹介されてている、フロイト自身が度忘れした「シニョレッリ」という画家についての考察がおもしろい。シニョレッリの描いた絵画と、フロイトの提示した度忘れのメカニズムの図式との類似性、さらには心的装置の図式との類似性への指摘には、はっとさせられた。

もちろん、これらの絵画がフロイトに影響を与えたといっても、それによってフロイト理論が生み出されたわけではない。フロイトの心の中にすでに心的装置の図式があったがゆえに、それに類似した美術品に強く心を惹かれたというのが本当のところであろう。ただ、心の中に漠然とあるイメージを理論に構築し著作として結実させるのに、これらの美術鑑賞は役立ったのではないか。
いずれにしても、読者としてはフロイトが熱中した美術品を見て、その背景を知ることが、彼のテキストをより視覚的で立体的に理解するのに役に立ったと思う。

残念ながら本書の図版はすべて白黒なので(カラー図版を入れてくれたらと思うが値段の関係で仕方ないか)、別の美術書などの大きなカラー図版で鑑賞してみたい。
さらに、イタリア未体験の私としては、いつかフロイトの足跡をたどるイタリア旅行というものをしてみたい。いつになるかわからないが。

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Author:重元 寛人
重元寛人です。本名は佐藤寛といいます。
フロイト全集の読解を再開いたします。よろしく。


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