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2023-12

防衛過程における自我分裂

防衛過程における自我分裂(津田均 訳 2007)
Die Ichspaltung im Abwehrvorgang (1938)

しかし、ご存知のとおり、この世で金のかからぬものは死のみである("Umsonst ist nur der Tod."ドイツの諺とのこと)。(22-264)


 自我分裂という防衛が、大きな代償を負ってのみなされうることを述べた一文。これを書いたフロイト自身が、迫りくる死を強く意識していたであろうことをも連想してしまう。

 まことに自我にとって、生きるとは大変なことだ。あちらを立てればこちらが立たず、両方立てれば自分が苦しい。そして、死は最終的にそれらの苦労からの解放という大きな快をもたらしてくれるのかもしれない。

 晩年のフロイトが死を前にしてどんな心境だったのかはわかなないが、著作の端々では自らの老い先の短いことについてユーモアを交えて語っている。彼の人生も相当大変なものだったようだから、死という最終的解放が静かに待たれるような心持もあるいはあったかもしれない。

われわれは自我過程の統合を自明視しているので、このような過程の全体はきわめて奇妙なものに見える。しかしこの自明視は明らかに誤りである。きわめて重要な自我の統合機能は、いくつかの特別な条件のもとで成立するのであり、さまざまな障害を蒙るものなのである。(22-264)


 当たり前のように思える自我の主体性が、実はみせかけであることを論じたのがフロイトであった。そして、統合するという自我の機能も自明ではなく、特別な条件のもとでのみ成立するという。
 自我の分裂は、自我がエスと現実の双方に対して従属的であることの帰結であるように思われる。相反するものに仕えようとすれば、風見鶏のように一貫性がなくなり、二枚舌になる。自我なのに自我がないというべきか。

 幼い自我が分裂するのはかなり普遍的なことのようであり、それは成長に伴う成熟によって二次的に統合性を勝ち取る。そのための「特別な条件」がなにかということについては、この短い文章には具体的には述べられていない。
 私見では、超自我の成立、愛情対象との同一化とそれによる二次ナルシシズムといったことが重要なのではないかと思う。
2007.9.6

テーマ:本の紹介 - ジャンル:本・雑誌

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