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2021-04

モーセという男と一神教

モーセという男と一神教(渡辺哲夫 訳 2007)
Der Mann Moses und die monotheistische Religion. Drei Abhandlungen (1938)

 この著作は、一神教がいかにして成立したか、ということをテーマにしている。
 ここで言う一神教とは、正確には唯一神教、すなわち神がただ一つしか存在しないとする宗教のことである。
 ただなんとなく神様がひとりおられるというのではなく、神という存在は唯一つしかないということだ。もし誰かが別の存在を神と崇めていたとすれば、それは偽ものであり、そのような信仰は呪わしいものということになる。つまり、一神教は排他的な側面をもつ。
 唯一神の特徴としては、それが絶対的な存在であるということがある。世界の事物のすべては、神によって支配され、その意志の表現である。したがって、神と人間の関係も完全な主従関係にある。神の意志が完全に正しい以上、そこに人間が意見をさしはさむ余地はない。
 論理的に言えば唯一神だからといって絶対的である必要はないのだが、実際に現在ある一神教ではそういうことになっている。逆に多神教の神々はそれぞれが異なる存在である以上、絶対的ではありえない。弱い人間の立場であっても、あっちの神についたりこっちの神についたり、うまく立ち回れば絶対的な支配をうけずにすむかもしれない。
 一神教とは唯一の絶対的な神を信仰する宗教である。一神教は、その排他性ゆえに他の宗教と激しく対立してきた歴史がある。また、一神教の内部でも、教義の解釈をめぐって激しい論争があった。このことは、宗教の学問としての側面を発展させた。唯一の絶対的な真理を追究しようという態度は、自然科学という学問を生み出す基盤ともなった。

 そのような一神教は、歴史上一回しか生まれなかったのかもしれない。少なくとも現在ある主要な宗教のうちで一神教といえる、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の起源をたどれば、同じ源流にいきつくのだ。宗教そのものは独立に何度も生まれたが、一神教となると、その誕生はきわめてまれな出来事であったといえよう。ユダヤ教誕生という歴史上の特異な出来事を精神分析の手法によって解釈しようというのが、この著作の壮大な意図なのだ。

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Ⅰ モーセ、ひとりのエジプト人

 本著作はその成立のいきさつを反映して、複雑な構成になっている。全体は三章から成り、比較的短い一章と二章に続く三章はさらに二部に分かれている。もともとこの本は1934年頃から執筆されたがしばらくは著者の手元に置かれ、1937年になって一章と二章がそれぞれ独立した論文としてイマーゴ誌に発表された。1938年にナチスの脅威が迫る中フロイトはウィーンを離れてイギリスに亡命し、それによって発表されなかった三章も含めての出版の道が開けてきた。彼は不満だった部分の書き直しにとりかかったがうまくまとめられず、最終的には元からの部分を三章第一部、後に書き加えた部分を第二部として、1939年にようやく1冊の本として出版される運びとなった。

 完璧主義のフロイトとしては重複の多い不体裁な構成はさぞかし不本意なことであったろうが、なんとか生きている間に出版までこぎつけたかったのであろう。これを読む後世の者にとっては著者の思考過程がわかってむしろありがたいし、メタサイコロージイ序論の幻の論文のように不満な部分が廃棄されずにすんだことには感謝したい。

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ネタバレ注意

 ちなみにネタバレ注意です。というか、ネタバレしないでは何も書けません。いや実際ほんとにおもしろい本だし、全集を買わなくても文庫版(ちくま学芸文庫「モーセと一神教」)で同じ訳者のものが読めるので、まだの人は是非ともブログを読む前に読んでいただきたいものです。

 モーセがエジプト人であったというフロイトの主張の妥当性については、旧約聖書にも古代エジプトの歴史にも不案内な私には他の知識によってこれを検証することはできない。ので純粋にこの本だけを読んでの判断だが、いや参りました、すっかり説得されてしまいました。

 視点を変えると全然別の絵がたち現れてくるだまし絵というのがある。隠されている方の絵に一旦気づいてしまうと、もうそっちばかりが見えてきて、元の絵の不自然さが目立ってしまう。
 そんなようなもので、フロイトの説を知ってしまってから、旧約聖書の当該部分を読んでも、モーセ=エジプト人という読み方しかできなくなってしまった。
 フロイトの挙げている個々の根拠がどうというのではなないんだな。そう解釈した方が、ずっと自然であると思えてしまう。

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英雄伝説

 モーセがエジプト人であったという根拠として、フロイトは2つのことをあげている。ひとつは、モーセ(mose)という名前がエジプト語で「子供」を意味すること。このことを指摘した研究者はそれまでにもいたが、さらに一歩進めて、エジプト語の名前の持ち主はエジプト人であると考えてみようというわけだ。

 二つ目の根拠は、各民族が抱いている「英雄誕生の神話」には標準的なパターンがあって、モーセの誕生にまつわる旧約聖書の記述はここから逸脱しているというのだ。
 英雄誕生の神話については、O・ランクの研究に基づくものだが、フロイトはここから「標準伝説」というものを抽出している。これがなかなかおもしろい。

「英雄はきわめて高貴な両親の子供、たいていは王子である。
 彼の誕生に先立って、禁欲生活あるいは長期の不妊、あるいは外的な力による妨害の結果としての両親の密会などの困難がある。妊娠期間中に、あるいはそれよりも早く、彼の誕生を警戒するようにとの告知(夢、神託)が現れる。これは、たいていの場合、父にとっての危険を告げる脅威的なものである。
 そのため、生まれたばかりの子供は、たいていの場合、父あるいは父を代理する人物の指示によって、殺されるか棄てられる定めとなるが、常のことのように、子供は小さな箱のなかに入れられ、に流される。
 ついで、その子供は、動物あるいは身分の卑しい人(牧人)によって救われ牝の動物あるいは身分の卑しい女性によって乳を与えられる。
 成人するに至って、かつてのその子供は、波瀾万丈の道をたどって高貴な両親に再会し、一方では父への復讐を遂げ、他方ではその真の素性を認められ、偉大な権力と栄光を得る」。(22-7)

 この標準伝説をみて第一に思い出したのは、昔話の桃太郎である。伝説では桃太郎の真の両親については何も伝えられていないが、この標準伝説に照らしてみると、そうか、桃太郎の父は実は鬼ヶ島の鬼だったんだ。

 現代に作られたヒーロー物なんかにも、けっこうこのパターンに当てはまるものがある。スターウォーズのルーク・スカイウォーカーは辺境の星で農家の夫婦に育てられ後に真の父親と対決することになるし、スーパーマンはクリプトン星から箱に入れられて地球まで到達しやはり農家の夫婦に育てられる。我々が見たいと欲しているものには、古今東西普遍的なものがあるのだろうな。そしてフロイトはこの普遍性を、子供が抱く「家族ロマン」に帰している。

 もっとも、子供が抱く空想と、大人が子供に物語る伝説や童話と、どっちが先かというのは単純な問題ではない。ただ、代々にわたって語られ変形していくうちに、伝説は子供の喜ぶような形になっていくだろうと考えると、その普遍性の原因は子供が生まれつきに持っている嗜好によると言ってもよさそうだ。

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ここが変だよ・・・・

 信仰をもって聖書を読む人にとっては、そこに書いてあることに疑いを抱くなどもっての他であろう。逆に、頭から信じない人にとっては、それは荒唐無稽な作り話であって何の意味もない。
 しかし、これをひとつの伝説が記された歴史的文書として解釈するという見方がある。フロイトもこの立場であるが、伝説はいくばくかの真実を含むと考える。しかし、それは現在ある形に至るまでに歪曲されてしまっている。歪曲には、それを伝えてきた人々の欲望を反映するという法則性があるので、これを解釈することで元の形を再構築することができるかもしれない。

 モーセがエジプト人であるという仮説は、そういう方法論によって導かれたものだ。そう思って見ると、旧約聖書におけるモーセの生い立ちの記述(出エジプト記2章1-10節)はたしかに妙なものに思えてくる。
 だいたい、ファラオが奴隷身分のイスラエル人(ユダヤ人)に脅威を感じて生まれた男の子をナイル川にほうりこむよう命ずるような状況において、その王女がヘブライ人(ユダヤ人)の赤ん坊をそれと知って助けたばかりか、自分の子として育ててしまうということ自体が変な話だ。

 ここで、フロイトとは少し違った経路で私なりに考察してみる。考えて見ると、もしモーセの生い立ちが聖書の記述どおりであったとしても、これはユダヤ人にとってやや不本意な話ではないのか。つまり、民族自立のための指導者が、血筋がその民族出身であるにしても他民族の王家の者として育ったというのだから。
 モーセの生まれ育ちについて、3つの可能性を考えて見よう。(論理的にはもうひとつ可能性があるがここでの議論には必要ないので省く。)

1.モーセは、ユダヤ生まれのユダヤ育ち。
2.モーセは、ユダヤ生まれのエジプト育ち。
3.モーセは、エジプト生まれのエジプト育ち。

 この中で、ユダヤ人の指導者としてもっともふさわしいのはもちろん1であろう。しかし、聖書の記述は2になっている。伝説が民族にとって望ましい形に変形していくことを考えると、事実は3であったということはありそうなことだ。では、歪曲がなぜ1まで進んでしまわなかったか。そこまでしてしまうと、エジプト王とかけあってユダヤ人たちを連れ出すといった大仕事を成し遂げるにはさすがに役不足と思われるからであろう。つまり事実3はユダヤ人にとってあまり誇らしくないことだったので、せめて血筋は、ということで伝説は2に落ち着いた。しかし、彼が成し遂げた業績との整合性から、生粋のユダヤ人というところまでは変形されなかったということではないか。

 そもそも、ある国において奴隷階級であった民族が、ひとりの指導者の元その国をとび出して別の地を目指すということ自体きわめて困難なことであろう。当の民族にとって奴隷であるということは屈辱的で多大な苦痛を強いられることではあるが、だからといってそう簡単にそこを抜け出せるわけもない。第一に支配者からの強制から抜け出さなくてはならないし、さらに困難なことにはその後自分たちで生活していかねばならない。
 聖書の記述においても、モーセは神の力を借りてエジプト脱出についてファラオと何度も対決している。それだけでなく、脱出に不満や不安を感じるユダヤ人たちも説得している。モーセと他のユダヤ人は必ずしも一枚岩ではなかったわけだ。こういったことなどを考えいると、エジプト脱出を指揮するモーセという人物は非常に大きなパワーを持っていなくてはならないことになる。聖書ではそれは神の力ということになるのであるが、実際にはどうだったのだろうか。奴隷状態にあったユダヤ人の中からそのような強力な指導者が生まれ育ったとはちょっと考えにくく、モーセはエジプトの王家の者であったというフロイトの仮説が魅力的に思えてくる。

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Ⅱ もしもモーセがひとりのエジプト人であったとするならば‥‥‥

 もしもモーセがひとりのエジプト人であったとするならば、彼がユダヤの民に与えた宗教もエジプトの宗教であったろう、というのが次の展開である。

 エジプト第18王朝アメンホテップ四世(後に自ら改名してイクナートン、在位、前1350~前1334年頃(注))は、それまでの多神教を廃し、唯一神アトンのみを信仰するアトン教を作った。アトン教は世界初の一神教だそうだから、イクナートンの行った宗教改革というのは画期的な業績であったといえよう。人類のさまざまな文化において、多神教は何度も独立に生まれたが一神教はめったに生まれていない。それがどのような条件のもとに成立するかは興味深い問題である。アトン教は王権を支えるための一神教という側面があったようだから、その条件のひとつとして強力な王権が成立しつつあるということがあげられるかもしれない。
 アトン教の成立は画期的な出来事ではあったが、長くは続かなかった。イクナートンのおよそ17年の治世が終わり、有名なツタンカーメンの時代には多神教であるアメン信仰が復活した。やはり、一神教の厳しさは多くの者にとって堅苦しく、多神教の方が人気があるのだろう。

 さて、エジプトにおけるアトン教成立とユダヤ人のエジプト脱出およびユダヤ教の成立とは、時代的にも場所的にも大きな隔たりがないわけで、この間になにか関連を求めるのは自然な発想であろう。そして、このふたつを結ぶ糸として、「モーセ」という存在が浮かび上がってくるわけだ。

注:MSエンカルタより。文献によってこの年号は異なる。「モーセという男と一神教」ではイクナートンが死んだのが紀元前1358年となっているからだいぶずれる。

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フーガの技法

 本著作を一曲のフーガに例えるならば、その主旋律は「殺害と復活」ということになろうか。
 すでにこのテーマは、第1章の英雄伝説のところで現れている。そして、第2章では「モーセの殺害」という形で高らかに鳴り響く。また、アトン教の衰退とユダヤ教の誕生ということ自体がこのテーマにそっている。このように、主題は形を変えながら何度も繰り返されるのである。
 そして、そのような目で眺めてみれば、聖書の中にも、歴史の流れの中にも、いたるところに殺害と復活の様相が見えてくる。

 殺害というのは、単にある者が別の者を死に至らしめるということではない。その際に、主観的に「殺した」と思うことが重要である。だから、外的事実としては殺してなくても、ある者の死が自分のせいだ、と思うような状況も殺害と言ってよいだろう。この「殺してしまった」という罪悪感が、その対象を懐かしみ、再創造しようとする契機となるのである。
 強大な権力は殺害の対象となる。しかし、殺害の後、民は自ら殺したものを懐かしみ、より大いなるものとして復活させるのである。

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モーセは2度死ぬ

 モーセのような伝説上の人物のモデルが、現実には複数あったということはありそうなことではある。フロイトは、2人のモーセを仮定している。ユダヤの民をエジプトから脱出させたエジプト人のモーセと、ヤハウェへの信仰を取り入れたミディアンの祭司エトロの娘婿モーセと。もちろんオリジナルは前者がエジプト人モーセであり、後者はその名を借りて伝説の中で前者に融合したことになる。

 フロイトの仮説が正しいものとして、ではなぜ伝説におけるこのような融合が起こったのか考えてみる。ユダヤ人にとっての輝かしい歴史を記述するという目的からは、エジプト人のモーセのことは省略して、ユダヤの名を持つ預言者の話からはじめてもよかったであろうに。
 ここに「モーセの殺害」という事件がからんでくる。さきに述べたように、「殺害」は外的事実であった必要はない。単に、モーセとその宗教がユダヤの民にかえりみられない形で捨てられたということでもいい。
 「モーセのやつと、あのうっとうしい一神教がなくなって、ほんとうにすっきりしたなあ」などと、ユダヤ人は自由を満喫したであろう。しかし、しだいに世のモラルは乱れ、窮屈と思われたあのモーセの時代が懐かしく思われるような時が来た。こうした気運によって、新たに受け入れた火の神ヤハウェへの信仰は、捨てられたアトン教をモデルに、より一層純粋な一神教へと変化していった。それをもたらした預言者モーセも、伝説の中で復活をとげたのであった。 

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なんでわざわざ

 ユダヤ人を良きにつけ悪しきにつけ特徴づける言葉に「選民思想」というものがある。この鼻持ちならぬ考えのためにユダヤ人は嫌われてきたが、それにもめげず輝かしい業績の数々をあげてこれたのもまた選民としての自尊あってのことだろう。
 選民思想の根拠はもちろん旧約聖書の記述にあるわけだが、これについてフロイトは「人間の宗教史上、唯一無二である(22-56)」と断言している。ふつう、ある民族とその守護神とは最初から分かちがたく結びついているのであって、神の方からある民族を選ぶなどということは意識されない。なんでわざわざそんなことを言うのか。確かに妙である。

ユダヤ民族は、モーセによって「選ばれた民族」だったのだ。(22-56)

 では、なぜモーセはユダヤの民を選んだのか。いや、実は選ばざるをえなかったのだ。なぜなら、アトン教がエジプトの民に選ばれなかったからである。
 こんな言い方をするのは失礼なようだが、多神教においては選ぶのは人間の方なのだ。いろんな神様のどれを選ぶか。人気がある神は強大になり、不人気の神は廃れてしまう。
 そんな中に登場した排他的な神アトンは、最終的にはエジプトの民に選ばれなかったということだろう。この屈辱を晴らすために、「不信心なエジプト人なぞはこっちから願い下げじゃ、私は、私はユダヤの民を選ぶぞ!」と、神様が叫んだかどうか知らないが、モーセはきっとそう思ったのだろうね。

H19.7.9

預言者フロイト

しかしながら、すべての供犠、あらゆる儀式は、根本において、昔のモーセの教えが無条件に峻拒し去ったはずの魔法や呪術の類にほかならなかったのではあるまいか。このようなとき、民族の中心部から、もはや途切れようもなく、不屈の男たちがつぎつぎと現れるようになった。この男たちは来歴においてモーセと直接には結びついていなかったが、しかし暗躍のなかからゆっくり育ってきた偉大にして強力な伝承に捕えられていた。この男たち、すなわち預言者たちは倦むことなく昔のモーセの教えを語り続けた。神は犠牲を拒絶する、儀式を拒絶する、信仰のみを求める、真理と正義(「マート」)に生きることを求める、と。(22-64)

 この著作を読んでいて、目から鱗の体験(注)を何度もしたが、ここでも大きな鱗が落ちた。
 フロイトの解釈によれば、旧約聖書はより純粋な一神教たるモーセの宗教と、ユダヤの民が受け入れたヤハウェ信仰との妥協の産物であるという。たしかに、旧約聖書の記述はいろいろなところで首尾一貫していないというか、均一でないところがある。そのひとつが、生贄や儀式の方法についての記述である。
 例えば、神はモーセに自分の住む居場所である「幕屋」というものを作るように指示している(出エジプト記25章~31章)。幕屋の作り方について、材質や寸法などすべて具体的に指示され、そこに供えられる献げ物、とりおこなわれる儀式、祭司の服装などがこと細かに指定されているのだ。偶像崇拝を許さぬ純粋な一神教の神様が、祭事の細部にこれほどこだわるというのはなんだか妙だ。こういうところは、おそらく多神教的な起源をもつヤハウェ教からきているのだろう。
 ユダヤ教の最初の聖典である旧約六書(モーセ五書とヨシュア記)の孕むこの矛盾が、その後の歴史において、民の堕落と警告する預言者の出現という反復をひきおこす初期条件を与えた。
 それだけでなく、ユダヤ教からキリスト教の出現ということも、モーセ教への回帰という文脈によってとらえることができる。
 さらに言えば、フロイトにとって「モーセという男と一神教」という著作は、まさに「真理と正義に生きることを求める」行為であったに違いない。彼は、宗教をも超越した、もっとも純粋な形でのモーセへの回帰を試みたのではなかろうか。

注:「目から鱗が落ちる」という言い回しは、新約聖書の使徒言行録にてイエスを迫害していたサウロ(パウロ)が、キリストに邂逅して改心する際の叙述からきている(使徒言行録9章1-19節)。熱心なユダヤ教徒サウロの目から鱗がおちて、キリスト教徒パウロが誕生した。キリスト教誕生の瞬間である。イエスが神の教えの枝葉末節にこだわる律法学者を批判して信仰の本質を説いたことを考えると、キリスト教はユダヤ教からモーセ教への回帰ともいえよう。「モーセという男と一神教」を読んで体験する「目から鱗」は、パウロの体験と本質的な類似性をもつものかもしれない。

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Ⅲ モーセ、彼の民、一神教(第1部)

 いよいよ第3章である。
 その前に2章までを振り返ってみると、これはこれで充分よくまとまった歴史考察に仕上がっている。ここまでで終わった方が、むしろすっきわかりやすかったのではとも思えるくらいだ。
 こういうのは実はフロイトのいつものやり方であって、一旦結論めいたところにたどり着いてから、さらに複雑に考察が展開していって、最後はなにかよくわからなくなることもある。まあ、真実を追究する際には単純で美しい結論を早急に求めすぎてはいけないということなんだろうな。

 第3章第1部には、ふたつの序文がつけられている。1938年3月以前づけの序文には、論文が2年前に書き上げられたけれども諸事情を考慮して公表せず保管することにしたと記されている。その後フロイトはナチスの脅威からロンドンに亡命することになった。新たな地で書かれた第二の序文では、前言をひるがえして論文の公表を宣言している。

 最初のほうの記事で、この論文をフロイトの遺書に例えた。しかし遺書とは死後に発表される文章であることを考えると、これは遺書になりそこねた文章ということになろう。屁理屈を言っているようだが、生前に発表したかどうかということはやはり重要だ。遺書というものには、反響への責任を回避しながら後世に影響を及ぼしたいという少々ずるい気持ちが潜んでいる。
 フロイトが本書全体の発表を決意し、力を振り絞ってぎりぎりのところまでを追及したというところに一層の価値と重みがある。

H19.7.11

昔はよかった

遠く過ぎ去った時代は、人間が抱く空想(ファンタジー)にとって大きな、しばしば謎めいたと言ってよいほどの引力を持つ。人間はしょっちゅう現在に不満を抱き――実際、実にしきりに不満を抱く――、過去に向かい、こんどこそは二度と消え去らない黄金時代の夢を真実の世界として確保できるようにと望む。おそらく、人間はいつも幼年時代という魔術に支配されているのであって、この幼年時代は、人間にとって、決して公平無私とは言えない想い出によって、不満なき至福の時代として映し出されている。(22-90)

 昔のことを美化し、懐かしむのは人間の本性であろう。マスコミの論調などを見ても、現代的な潮流のマイナス面を批判的に論じる際には、必ずといってよいほど美しき過去が引き合いに出される。しかし、「昔に比べて今の若者はなっとらん」などという言い草は、はるか昔から繰り返されてきたことのようだ。

 この章でフロイトは、人類の歴史と個人の人生を対照しながら論じるという、「トーテムとタブー」以来の技法を屈指している。この論法自体にどのような根拠があるのか充分に検討する必要はあるだろうが、大変魅力的な視点ではある。生命の営みにおいてミクロなレベルとマクロなレベルに同じようなパターンが見られるということは、おそらく偶然ではないだろう。個人の体験というものが、われわれが実感している以上に祖先の体験の繰り返しであり、つまり歴史の反映であるということが、重要な根拠なのだろうと思う。

 そもそも人間は、過去の想い出を再現する試みという形でしか、欲望を抱くことができない。これは、フロイトが「夢解釈」以来主張してきたことだ。

H19.7.12

嘘はつけない

 完璧な嘘をつきとおすということはむずかしい。あるいは、真実はいずれ明らかになる。これは、「日常生活の精神病理学」でもでてきた主題だ。

 古代の歴史を研究するむずかしさのひとつは、その時代の人によって記録された文献が限られているというところにある。これらの記録の多くは、時の権力者によって作られた公文書であって、当然彼らにとって都合の良いように改変されたり創作されたりしていると考えた方がよいだろう。
 しかし、歴史を偽ろうとする彼らの意図が完璧に貫かれるわけではない。「王さまの耳はロバの耳」の童話にみるように、公式には否認されても印象に残る事実や出来事は、却って人々の関心を強く捉え語り継がれていくであろう。伝承される間に誇張されたり歪曲されたりはするだろうが、やがてそれはひとつの伝説となり、ついには後世に残る形で記録されることになるのである。

H19.7.13

神経症理論

われわれの研究によって明らかになったのは、神経症の現象(症状)と言われるものは、ある体験ないし印象の結果であって、これらの体験ないし印象をわれわれはまさしくそれゆえに病因的な外傷とみなす。(22-93)

 フロイトの神経症理論は、その病因を幼少期の外傷体験に求めることにおいては一貫していた。ただ、「防衛-神経精神症(1894)」や「ヒステリー研究(1895)」など初期の著作で展開された理論においては、当事者の主観的体験と外的事実とが明確に区別されていなかったので、すべての症例において実際の性的外傷体験が病因であるとみなされた。後の理論では、患者が抱く空想としての外傷に重点が置かれるようになった。しかし、だからといって養育者による虐待などの現実的外傷をすべて否定したというわけではない。一般には、ここのところをフロイトの理論的転換として重大に捉えすぎているのではないかという気がする。
 本著作のこの部分では、普通の体質の者が尋常でない出来事により病因を形成することもあれば、体質的な要因によって些細な出来事が病因的な外傷を作ることもあり、すなわち病因的外傷の要件は体質と外傷の量的配分によって決定づけられるという結論になっている。

H19.7.14

幼児期健忘

 幼児期健忘の問題もフロイトが繰り返し追及したテーマであった。このように、本書ではフロイト理論のいろいろな鍵概念を用いて論を進めていくのであるが、それらが出てくるたび要約された解説がなされるので大変にありがたい。

 人間がおよそ4歳くらいまでの想い出(注)を想起できないということは、大変興味深いことである。
 私自身振り返っても、幼稚園の年長くらいからの出来事は一連の想い出としてつながっているが、それ以前のものはきわめて断片的で自分の記憶なのか後から大人などに言われて作られたものなのかはっきりしない。小さい子供と話しても、5歳くらいになると過去の想い出がつながって今に至るという、大人と同じような時間感覚をもっていることがわかる。3歳くらいの子はかなりはっきり話せても、少し前の出来事を覚えていなかったり、いつのことかわからなかったりする。個人差はあるだろうが、言語の習得ということと、想い出が時系列に定着して後で想起できるようになるということの間には、ずれがあるようだ。
 フロイトはこの時期の健忘を外傷とからめて捉えており、それらの体験は想起できないが、あるいはそれゆえに、後の人格形成に大きな影響をおよぼすという。
 考えて見れば他の動物は、経験から学習したことを現在の行動に反映させるという意味での記憶はもつが、人間のように一連の想い出として想起できる形での体系を形成するわけではない。そう考えると、想い出せるということの方が特殊なことなのであって、それによって人間は外傷的な体験に関して別の方法で処理をするようになっているのかもしれない。

注:原文の“der frühen Kindheit bis etwa zu 5 Jahren”が、訳では「おおよそ五歳までの早期幼年時代(22-93)」になっているのだけれど、最初の5年という意味だと「4歳まで」あるいは「5歳になるまで」になるのではないだろうか。ちなみに、標準版の英訳では“early childhood up to about the fifth year”になっている。

H19.7.15

不合理ゆえにわれ信ず

特にはっきりと言っておかねばならないのは、忘却から回帰したものは、まったく独特の力でもって回帰してきた目的を果たしてしまい、比較するものなどないほど強力な影響を人間集団に及ぼし、真実に向けて抵抗し難い要求をつきつけてくるという事実であり、この力に対するならば、論理的な異議申し立てなどいつも無力だ、という事実である。まさしく、《不合理ゆえにわれ信ず》とならざるをえないかたちで。この奇妙に目立つ特質は、精神病者における妄想をモデルにしてのみ理解されうるだろう。(22-107)
 フロイトの妄想理解のすばらしさは、そこに真実の核を見出そうとしているところである。(記事「一抹の真実」参照)

 われわれが言語によって共有しようとしている「現実」にはけっして組み込まれない真実というものがある。それは、歴史的に忘却された真実であり、われわれすべてが知っているが、通常言葉で表現することのできない真実である。

 この真実を表現してしまうという点で、宗教の創立者は精神病者と同様の存在であろう。しかし、その言葉が多くの人を動かし、賛同を得たというところが異なる。ひとつの要因は、隠されてきた真実を受け入れられそうな言葉でうまく表現するための、本人と優れた弟子たちの能力ということであろうか。

H19.7.16

そして世界制覇へ

 キリスト教はユダヤ教から生まれた。このいきさつは新約聖書にも記述されているし、ほぼ歴史上の事実といってよいのだろう。
 フロイトは、この出来事はアトン教からユダヤ教が生まれた出来事、もちろんこちらは彼による仮説だが、その再演であったと主張している。

 一神教というものは、そもそも世界国家を構築しつつあったエジプトにこそふさわしいものであった。ユダヤの民の宗教は、その民族の守護神であるだけで充分であり、唯一絶対である必要など本来はなかったのだ。にもかかわらず、彼らがけなげに一神教を守ってきたのは、彼らが神によって(実はモーセによって)選ばれたことへのお返しであり、一神教もモーセも一旦は葬り去ってしまったことへの罪悪感によるものであろう。

 ユダヤ教からキリスト教への継承にあたっては、失われたものと復活したものがあった。
 復活した最大のものは、世界制覇への野望である。キリスト教は誕生直後から激しい弾圧(ローマ皇帝ネロなど)を受けたにもかかわらず、すごい勢いで広がっていった。
 いわゆる「大航海時代」において、キリスト教の布教が植民地政策にとって重要な役割を果たしていたことは周知のとおりである。ちなみに、わが日本では織田信長がこの宗教の危険な野望をいち早く察知し、大弾圧を行ったのであった。
 そして、キリスト教は現在、世界最大の信者を有する宗教に成長している。

H19.7.17

根強い人気

 ユダヤ教からキリスト教への継承において失われたもののひとつは、唯一神教としての厳密さである。
 これはキリスト教成立のいきさつによって運命づけられたことでもあった。つまり、イエスは自ら「神の子」と称しているということである。

ユダヤ教は父の宗教であったが、キリスト教は息子の宗教に変貌を遂げてしまった。(22-110)

 ユダヤ教においては、個人ひとりひとりが神との父子関係を強烈に意識する。キリスト教では、神の息子であるイエス・キリストが信仰の前面に出てくるわけだから、神と人間との一対一の緊張感というものが薄らいでしまうのも無理はない。あるいは、この緊張緩和がキリスト教人気の要因のひとつでもあったかもしれない。

 キリスト教が多神教的な要素を取り入れたことをよくあらわしているのが「マリア信仰」である。カトリックの教会には、大抵マリア像が安置されている。偶像崇拝を禁じている一神教においてこれはなぜか。しかもそれが神の像でもキリストの像でもなく(胸にイエスを抱いてはいるが)、イエスの母マリアの像だというのだから。
 マリアについては福音書にもほんの脇役的な記述しかないことなどから、キリスト教の信仰の本質的なところからははずれていると思われる。
 フロイトの解釈によれば、これはキリスト教が根強い人気を持つ母性神格を受容した妥協的産物であろうという。マリア信仰によって、キリスト教はより多くの人々に支持されることになった。

 もちろん、キリスト教内部においても、このような矛盾が放置されたわけではない。キリスト教の主流派が採用している「三位一体説」は、神と子(キリスト)と聖霊とは同一のものであるとしている。論理的には当然こうでなくてはならない。一神教の立場からすれば、キリストは神と同一か、単なる人間か、どちらかであらねばならないからだ。
 16世紀になって、ルターとカルヴァンが行った宗教改革によってプロテスタントが誕生したことは周知のとおりである。現在でも、カトリックの方がプロテスタントよりも多神教的な要素を多く含むということはいえそうだ。

H19.7.18

迫害され続ける民

 ユダヤ教とキリスト教のもっとも根本的な違いは、歴史的にユダヤ人が迫害され続けてきた理由と密接に関係がある(「と、フロイトは考えた」という言葉はもう省略します)。

 それはずばり、キリスト教が「神の殺害とそれによる民の罪悪感」ということを、かなり明確に意識させていることである。
 イエスがユダヤ教に対する異教の罪によって死刑になったこと。迫害する側の陣営にいたパウロが、自らの罪を自覚したことから、この教えがスタートしたこと。(パウロがいなければ、キリスト教が宗教として後世に残ることはなかったろう。)
 そして、イエスの復活。
 これらは、すべてモーセの殺害とその復活という歴史をなぞっている。
 パウロの教えは、人間の根本的な罪深さ(原罪)を強調するものであった。実は、イエスの言葉には、罪深い人間ということはそれ程多く含まれているわけでもない。「人間の罪を一身に背負われたイエス・キリスト」というのは、パウロによって作られたテーゼであると言ってよかろう。
 ユダヤ人が歴史的に抑圧してきた罪悪感を白日のもとにさらしたこと。これが、パウロの最大の功績であった。

 これに対してユダヤ人たちはどうしたか。はっと気づいて、「そうだった、神を殺し、モーセを殺したのは、まさしくわれわれであった」と言ったかというとそうではなかった。
 この点を、フロイトは神経症者が外傷体験を否認し続ける態度になぞらえている。

これは、分析作業のさなかに神経症者によく起こることなのだが、想起の代わりに「身をもって演ずること」が現れてしまった例であった。(22-112)

 ユダヤ人は自らの罪を認めなかった。しかし、自身が迫害され続ける歴史を甘受してきた。個人においてもそうであるが、こういった反復強迫的な運命は、外から押し付けられたように見えて、実は当事者によって無意識的にひきおこされているものなのである。

 しかし、これって‥‥。
 「ナチスによるユダヤ人迫害を招いた原因の半分はユダヤ人自身にある」と、言っているようなものだな。フロイトが第三章を発表できないと考えたのは、このあたりのことであろうか。

H19.7.19

おまえはすでに知っている

 第三章第一部の後半部分では、「太古の遺産(die archaischce Erbschaft)」という概念についての議論がある。太古の遺産は、歴史の流れを個人のように分析的に取り扱うにあたって必要になる、重要な仮定である。

新たな複雑な問題が登場するのは、個人の心的生活において、当事者自身によって体験された内実だけでなく、誕生に際して持って生まれてきた内実、系統発生的来歴を持つ断片、太古の遺産も現実に作動しているかもしれないという真実性の高い可能性にわれわれが注目するときである。(22-123)

 仰々しい言い方であるが、要するに、動物も人間も、生まれながらにして色んなことを知っているということだ。人間は、多くのことを学習する動物だから、生まれたばかりの赤ん坊は何も知らないと思いがちだが、そんなことはない。例えば生後間もない赤ちゃんが、人間の顔に対しては他の物とは違う反応をすることが知られている。赤ちゃんは人間がどんな顔をしているか、学ばずして知っているのだ。
 また、後に学習する事柄についても、それを学ぶための基盤があるからこそ身につけることができるのである。人間にもっとも近い種であるチンパンジーに言葉のようなものを覚えさせる研究というのがある。特殊な環境で教育した個体がかなりの成果をあげてはいるが、それらの研究結果は、集団の中にいるだけで勝手に言語を習得していく人間の子供の特殊能力というものをあらためて際立たせるものでもある。このような、学習のための基盤というものも、太古の遺産に含まれるであろう。

H19.7.20

象徴で表現する動物

 太古の遺産に含まれるものの重要な例として、フロイトは象徴表現ということをあげている。

このようないろいろな議論がなされているうちに、分析的研究は、ほんとうに考えるに値するいくつかの成果をもたらしてくれた。そのなかには、まず言語象徴表現の普遍性なる事情がある。あるものを別のものによって象徴的に代えることは――行動の場合にも同様なのだが――、すべての子供たちにとってありふれていて自明である。(22-124)

 現実の事物がどのような概念に区切られ、どの音節群(単語)と結びつけられるかということは各言語体系ごとに異なるが、概念を音声に結びつけるという言語の基本形態は普遍的である。
 最初に単語を発語するようになった幼児は、次に「ぶーぶー、きた」などの二語文を話すようになる。これは、「主語+述語」といった各言語に共通の基本的文法を用いた文である。
 このように、音声による象徴と、基本的文法という、言語にとっての根本的な構造は普遍的である。ヒトはこれらのものを太古の遺産として携え生まれてくると考えられる。

 「あるものを別のものによって象徴的に代える」ということは、言語だけに限られることではない。
 小さな子供が、積木を自動車と想像して遊ぶ「みたて遊び」や、簡単な線や図形で現実を写す描画なども、子供がもともと持っている象徴機能を表しているのであろう。
 フロイトは、夢で用いられる象徴表現がすべての民族に共通であるという例をあげている。

 象徴で表現することは人間だけの特徴ではないかもしれないが、少なくともヒトにおいて顕著に発達した能力であるといってよいだろう。

H19.7.21

捉え方の問題

 フロイトは神経症の分析的研究によって、それらの原因が幼児期の外傷的体験に結びつくことを見出した。
 彼は最初のうち、これらの外傷体験がすべての症例において現実におこったものと考えていた。しかし、多くの症例が画一的な体験を語るという経験の積み重ねから、それらはエディプスコンプレクスや去勢コンプレクスとして定式化された。

エディプスコンプレクスや去勢コンプレクスにおいて神経症の子供がその両親に対してとる態度は、個人的な事件として正当化されるとは思われない。それは、太古の種族の体験へと結びつけることによって、つまり系統発生的に考察して初めて理解されるような反応を無数に表している。(22-125)

 体験とは、外的出来事に対する感受性と捉え方によって左右される。早期の自我が画一的な体験をするのは、太古の遺産によって準備された認知の基盤が、外界の中にある一定のパターンを見出そうとするためであろう。

H19.7.22

獲得形質は遺伝するか

よくよく考えてみるに、われわれは長い間、先祖によって体験された事柄に関する想起痕跡(注)の遺伝という事態は、直接的な伝達や実例による教育の影響がなくても疑問の余地なく起こっているかのように見なしてきた、と告白しなければならない。
(中略)
たしかに、われわれの意見は、後天的に獲得された性質の子孫への遺伝に関して何も知ろうとしない生物学の現在の見解によって、通用しにくくなっている。しかし、それにもかかわらず、生物学の発展は後天的に獲得されたものの遺伝という要因を無視しては起こりえないという見解を、われわれは控えめに考えても認めざるをえない。(22-126)

 現代の生物学的知識によっても、獲得形質の遺伝ということは、ほぼ否定されている。生物の進化は、もっぱら広義の自然淘汰によってなされるというのが一般的な見解である。

 フロイトの批判者は、こういうところを捉えて、「フロイトはラマルク主義者であった」などと言うのである。
 しかし、ここで指摘しておきたいことがある。
 獲得形質の遺伝を想定するということを「ラマルク主義者」と言うのであれば、ダーウィンもまたラマルク主義者であったということになる。ダーウィンの時代には遺伝についての根本的事実はまだ明らかになっていなかったので、「種の起源」では進化の原動力として自然淘汰を強調しつつも獲得形質の遺伝ということも同時に想定している。
 ダーウィンがラマルクを批判した点は、彼が生物に内在する高度なものへの進化傾向を想定していたところである。進化についての全体的な考え方という観点からは、フロイトは根っからのダーウィン主義者であるといえよう。

 そうはいうものの、「後天的に獲得されたものの遺伝」ということを仮定したところは、現代的な知識からするとやはり間違いであったと言わざるをえない。
 しかし、それによって「太古の遺産」という概念全体が崩れ去るわけではない。むしろ、自然淘汰によってこそ、太古の遺産はより効率的に形成されるとも考えられる。
 われわれは、自分が体験したもろもろの事柄の総決算として、子孫に対して自分の伝えてきた遺伝物質の一部を伝えたり伝えなかったりする。また、大勢の他者への影響力を通じて、遺伝子プールにおける遺伝子型の比率を変化させることができる。
 さらに、われわれが自分個人の体験と感じている事柄は大部分祖先によって繰り返し体験されたことの再演なのである。
 このようなことを考えると、民族が繰り返し体験してきたことが、太古の遺産として遺伝子の編成に刻印を残すということは、実際おおいにありえることなのである。

注:原文の“Erinnerungsspur”を、「快原理の彼岸」(須藤訓任訳)では「想い出-痕跡」と訳していた。「モーセという男と一神教」の訳者渡辺哲夫氏は、以前の「モーセと一神教」では「記憶痕跡」と訳していたのを今回は「想起痕跡」としている。訳語統一のために変えたのに統一されていないというはどういうことか。

H19.7.23

自然淘汰の遺産

 自然淘汰のみによって太古の遺産というものは成立しえる。獲得形質の遺伝が否定されたとしても、フロイトが本書で構築したことが根底から崩れ去るわけではない。むしろ、その地盤をより強固にすることもできるのではないかと私は考えている。
 ここでは、フロイトが提示した次の命題が、自然淘汰と矛盾せずに成立しうるということを述べてみたい。

以上の論及に基づいて、私は一片の疑念も持たずに言明する。人間は、彼らがかつてひとりの原父を持ち、そしてその原父を打ち殺してしまったということを――独特のかたちで――常に知っていたのだ、と。(22-127)

 動物が縄張り争いや群れの中での順位争いにおいて同種の個体を殺すということは、まれではない。ヒトにもっとも近縁のチンパンジーにおいても、殺チンパンジーの場面はわりとよく観察されるという。つまり、群れのリーダーを殺すといったこと自体は、人類において初めてなされたことではない。
 もちろん他の動物がやたらと殺し合いをしているというわけでもない。攻撃性の発露に対してはなんらかの抑制をかけることが、それぞれの個体の適応にとっても有利だからだ。
 「原父の殺害」において本質的なことは、「殺した」という罪悪感を個体が抱いたということであろう。この感情が抑制因子となり、原父の殺害以降の人類においては、個体が群れのリーダーを殺すことは事実としてはむしろまれになったということかもしれない。
 このような罪悪感の起源は、攻撃に対する復讐への恐れという感情にあり、その怖れの対象が、殺してしまった個体に対しても広げて適応されるようになったということであろう。

 以上のようなことを踏まえて「原父殺害」を再構築してみよう。
 ある時期、人類の祖先はその環境の中で、群れのリーダーが自分の遺伝子を後世に伝えることに関して莫大な利得をもつような状況にあった。そのために、リーダー争いは熾烈となり、事実としての殺し合いが頻繁になった。自然淘汰は、各個体における、他者を殺す衝動と、他者から殺されることを警戒する感情とを、拮抗させながら発達させた。
 環境の変化が訪れた。例えば氷河期などによる気候の全般的変化によって、人類の祖先にとっては、群れの中の権力争いよりも、協力して環境の厳しさに対抗することにより大きなエネルギーをさく必要が生じた。こうして、自然淘汰は個体における攻撃への抑制感情を発達させる方向に働くようになった。それぞれの個体は、より多くの怖れを他者に対して抱くようになり、殺してしまった個体からの復讐をも恐れるようになった。すなわち、人類の祖先は霊を信じるようになり、その怒りを鎮めるために様々な儀式を発展させていった。
 人類の各個体は攻撃性を外に表現することは少なくなったが、殺しへの衝動は太古の遺産として受け継いでおり、それに対して後の時代に発達させた抑制感情が箍をはめている状態であった。時折、突発的に起こる殺人は、それをなした個人にも、周囲のものにも強い罪責感情をひきおこし、人々の印象に強く残って語り継がれることになった。

H19.7.24

Ⅲ モーセ、彼の民、一神教(第2部)

けれども、残念ながら、書き手の創造力は、いつもその人間の意志に従うわけではない。作品は、それがなりうるものにしかなりえないのであり、著者に対して独立してしまうことが多く、それどころか異物のようになってしまう場合すらある。(22-131)

 第三章の第一部には2つの序文がつけられていたが、第二部にも「要約と反復」という序文のようなものがついている。そこでは、本書全体に繰り返しの多いことの弁明が書かれ、しかしその内容はたいへん新しく重要だから反復される価値のあるものだと述べられている。

 フロイトがこの本にいかに手を焼いたかがうかがえる。それは繰り返しても繰り返しても語りつくせぬものを、なんとか語ろうという試みであったのだろう。

 本書は、その内に反復を含むだけでなく、「トーテムとタブー」をはじめ他の著作で述べたことの反復も多い。しかし、それらは単なる反復ではなく、新たな言葉づかいによって新たな光が投げかけられており、読んでいて「そういうことだったのか!」と新鮮な驚きにとらわれることがたびたびである。

H19.7.25

歴史を動かすもの

人間の集団には、感嘆賛美に値する権威への、屈服すべき権威への、それによって支配されたいと願う権威への、場合によってはそれによって虐待されたいとすら願う権威への強烈な欲求が存在しているのを、われわれは知っているからだ。(22-138)

 歴史は何によって作られ、動かされてきたのか。偉人たちの活躍によってか、あるいは名もない人々の織り成す経済的、文化的諸活動の集積によってか。
 フロイトは、「偉大なる男」の役割を重要視しながらも、彼が力を発揮することができるのは、人々がその権威を熱狂的に支持するからこそであることを強調している。そして、そのような集団の欲求の淵源は、幼年時代からの「父への憧れ」にあるという。

断固たる考え方、強靭な意志、行動の重々しい力強さは父の像に沁み込んでいるのであるが、しかしそのなかでも特に、偉大なる男の自立性と独立性、冷淡さにまで至りうる神のごとき無関心こそ、父の像に固有なものなのである。(22-138)

 このあたりのフロイトの文章は詩的に美しく、「声に出して読みたいフロイト」なる本を将来出版することがあったら、是非ともおさめたいくらいだ。

H19.7.26

母か父か

われわれは、つぎのような言葉でもって歩み始めるべきだったのかもしれない、そもそも幼年時代に父以外の誰が「偉大なる男」でありえたのか!(22-139)

 フロイトは、個人の心理学においても、歴史分析においても、父の重要性を強調したことで知られている。このことから、ともすると彼が母の存在や母子関係を軽視したと捉えられることもある。
 フロイトの父親重視は、彼自身の生い立ちによるのではないかとか、いや彼自身の母子関係の重要性に気づいていなかったのではないかと、憶測する向きもある。
 もちろんフロイトといえども自らの個人的コンプレクスから完全に解放されていたわけではないだろうから、上記のような分析もあながち見当はずれというわけではないだろう。しかし、そのような視点だけで彼の理論を片付けてしまうのは残念なことだ。

 母子関係が重要であることはもちろんである。母は多くの場合子供にとって現実的にもっとも重要であり、なくてはならない存在だ。このことは、わざわざ強調しないでも皆が実感していることである。また、母子関係の重要性は、人間だけでなく他の霊長類でも同様だし、すべての哺乳類に共通の事情であろう。

 これに対して、父の重要さは人類と他の動物を区別する特徴として、特筆されるべきものである。それは母との関係に対立するものとして、歴史においても、個人の発達においても、精神性の飛躍にとって重要な転機となった。

H19.7.27

見えない神

あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。(出エジプト記20-4)

 ユダヤ教では、偶像崇拝ということを固く禁止している。これは、厳格な一神教にとっては理論的に当然の帰結ともいえよう。像を作って拝めば、たとえそれが神の像であっても、その像自体になんらかの神性が宿ると感じられてしまうからだ。神はひとつしかおらせられないのだから、像ではなく、見えない神を信仰しなくてはならない。
 このことは、一神教としては筋が通っているけれども、現実の信仰においてはかなりむずかしい。やはり、人々は崇拝する対象として、目に見える何かを求めたくなるからだ。

 フロイトは、この偶像崇拝の禁止という掟を、「欲動断念」という観点から考察している。目に見えるものを離れて、抽象的なものを信じるという、この転換の中に精神性の大いなる飛躍を見るのである。

なぜなら、この掟は、抽象的と称すべき観念を前にしての感官的知覚蔑視を、感覚性を超越する精神性の勝利を、厳密に言うならば、心理学的に必然的な結果としての欲動断念を意味していたからである。(22-143)

 動物の本能的行動というものは、感官的知覚という刺激に対する反応として記述される。目の前にあるものに即座に反応するのが動物の本能というわけだ。もちろん、人間もまたこうした動物的本能に強く支配されているわけだが、一方では高度の理性的思考によってその支配に一定の制限を加えることができる。

H19.7.28

念ずればかなう

 欲動断念ということは非常に難しいことだ。目の前にあるものを我慢しろと言われても何もなしでは容易にできるはずもない。
 欲動断念のための代償が、「思考の万能」である。頭の中でいろいろ想像することが、すばらしい価値を持ち、その力が現実をも動かしてしまうと信じ込むことである。このようなあり方を、フロイトは思考の原点と考えた。

「思考の万能」は、知的活動の尋常でない促進をもたらした言語の発達にまつわる人類の誇りの表れであると考えられる。ここに、感覚器官の直接的知覚を内実としていた低次の心的活動に対立する精神性の新たなる王国が出現したわけであり、この王国においては、表象、想起、そして推論過程が決定的となった。(22-143)

 言語というものも、今ではコミュニケーションのツールであるように考えられているが、もともとは思考の万能のためのツールであった。声に出して唱えることで、何かが実現すると信じること。言葉の原点は呪文であった。
 ハリーポッターとか指輪物語とか、魔法使いの話はいつでも人気がある。それらは、呪文を口にすること世界が動かせるという、言語が秘めた根源的な性質を想い出させてくれるのであろう。

H19.7.29

信じるということ

 欲動断念というのはひとつの方向である。感覚重視から観念重視への。母性から父性への。
 母というものはわかりやすい。子供にとって、母は自明の存在であり、目に見え手で触れられる欲望の対象である。ところが、父はわかりにくい。現代の一般的な家族形態では、同じ家にお母さんがいてお父さんがいてと、まだわかりやすいが、それでも少年が「お父さんて、いったい自分のなんだろう」と疑問に思う時期がある。大家族が群れをなして生活するような、人類の祖先においては、「父」というものは一層わかりづらかったろう。ある人物が自分の父であるということは、結局のところ信じるしかないのだ。(DNA解析で父親を決定できるようになったのはごく最近のことだ。)

 人類の歴史においては、ある時期に共同体が母権性から父権性へと変化しただろうとフロイトは推測している。目に見える対象から、信じるしかない観念的存在への重点の変化である。ほとんどの民族が採用している名前のシステムは、父親の姓を主として受け継ぐことになっている。

H19.7.30

魂の息吹

 目に見えないものを信じるということの大事な例は、霊を信じることである。霊は死後の生命を表現するものであるが、それだけでなく、生きているものもその肉体に霊(魂)を宿していると考えられる。さらに、この生命の息吹は、他の動植物から無生物にまで吹き込まれるにいたった。

全世界は魂の息吹を吹き込まれた。(22-145)

 こうして、世界は活き活きと輝きはじめるのである。そして、そう感じる自分自身にもまた魂があると思われる。人間精神の誕生である。

 目に見えるものの背後に目に見えないものがある。それじゃあ元と同じじゃないかと言われそうだが、そうではない。目に見えるものの背後にあるものは、それが見えなくなっても常に存在する。つまり、魂を信じることは、ものの実在を信じることと似通っているのだ。

H19.7.31

超自我のチカラ

しかしながら、外的世界の理由に基づく欲動断念がただひたすら不快であるのに対して、内的理由に基づく、超自我への服従に基づく欲動断念は、別の経済論的効果を示す。この欲動断念は、避け難い不快な結果のほかに、自我にひとつの快の獲得を、言うなれば代替満足をも招来する。(22-147)

 フロイトが「自我とエス」(1923)で提示した心的装置のモデルほどシンプルにして役に立つものを私は知らない。それは、心を自我とエスと超自我の、たった3つの審級(心の器官)にわけて捉えるのである。
 この3つのうち、自我とエスは比較的わかりやすい。フロイトでなくても似たようなことは思いつけたのではなかろうか。
 このモデルの鍵となるのは超自我である。これは少々わかりづらい。超自我は、道徳的要求をつきつけてくる審級であるが、これを自我とは独立したものとして捉えたところがポイントである。
 超自我は、原父殺害という歴史的事件を個人の中に刻印するものであり、抽象的な父のイメージが取り込まれたものである。自我よりも、ずっと深く無意識に根をおろしており、揺れ動くことが少ない確固たる存在である。
 超自我は欲動断念ということにも関わっている。外から押しつけられて、やりたいことを我慢するのは苦痛なだけだが、内なる超自我に従って我慢することは快をもたらしうる。
 宗教の熱心な信者が、ただただ信仰に帰依するために苦痛な勤行にいそしむ姿というものは、まさに自我が超自我に従うことによって得られる快というものをあらわしているのであろう。

H19.8.1

神聖にして侵すべからず

 近親相姦忌避の問題については、フロイトも繰り返し論じてきたし、その後も彼の論をめぐってさまざまな議論があり、いまだに決着がついていないようだ。ここでは深入りしないが、私としてはこの問題を論じる際に人々がかっかとすること自体がフロイトの正しさを証明しているようにも思う。

 この著作では、「神聖さ」という切り口から近親相姦忌避について論じている。近親相姦は、すべての人に対して禁じられていたわけではない。古代エジプトのファラオなど、高貴な者には特権的に許されていた。つまりそれは、原父が独占していた特権であり、他の者に対してこれを禁止したのはまさに原父その人であった。

 このようなことは、近親相姦のみでなく、性行為一般にまでひろげられるのではないかと思う。なぜなら、原父はすべての女性を独占していたのだから。
 現代の日本や欧米のようにフリーセックスがいきわたったように見える社会においても、性行為というのは飯を食ったりスポーツをするようにできることではない。そこには、なにがしかの「禁止されている」という感覚があり、だからこそ強い欲望を駆り立てられるというところがある。
 例えば、「コスプレ」なるものがはやっているらしい。男性が制服を着た女性に欲情を駆り立てられるということは、倒錯的でありフェティシズムの一種ともいえる。しかし、制服というものがある種の組織への忠誠のしるしであり、さらに言えばそれを着た女性が原父に支配されたしるしであると考えれば、男性がそれを剥ぎ取って彼女を原父から奪い取ろうと欲するのは当然とも考えられる。
 また、多くの男性にとって女性が神聖であると感じられるのは、彼女らが原父の所有物であり、自分の手には届かないものであるということを意味しているのかもしれない。

H19.8.2

真理の追求

通常の場合、人間の知性が真理に関して特別に鋭敏な嗅覚を持っており、人間の心の生活が真理を認知する特別な性向を示しているとの事実は、確認されたためしがない。経験が教えてくれたのは、むしろ逆の事実で、ありとあらゆる警告がないと知性は実にたやすく誤謬に走るのであり、真理など見向きもされず、欲望に基づいた錯覚と折り合いがつけられる事柄が容易に信じ込まれてしまう。(22-163)

 ここに、この著作の孕む、またわれわれの知的活動全体が孕む、最大のジレンマが表現されている。
 われわれの知的好奇心は真理を求めるのであるが、実はありのままの真理を求めているのではなく、自分がそうあって欲しいと思う真理を求めがちなのである。そして、そうあって欲しいことは誤謬であることが多いのである。さらに、真理というものはそう簡単には知ることのできないのであって、妥当性の高さを求めるならば、ちっぽけな知識で我慢するしかないのである。
 フロイトは人一倍真理への欲求の強い人であり、完全なる真理を求めて最後まで努力を続けた、その結晶が本書でもある。完全な真理を求めるほど誤謬を真理と錯覚する危険に陥りやすくなることをも、彼は認識し、自戒していた。

われわれ信仰において貧しき者にとって、最高の本質の事実的存在を確信している探求者がいかに羨ましく思われることか!(22-154)

 フロイトは宗教の与える完全なる真理には納得できず、それを超える真理を探究した。後世の凡人であるわれわれから見ると、その足跡はすばらしいものを含んでいるのだが、彼自身はそれではとても満足できなかったようだ。嘆きのため息が紙面から伝わってきそうである。
 そして、このような知識に対する態度こそ、フロイトが本書で題材にしているユダヤ民族のひとつの特徴ともいえることが、また興味深い。

H19.8.3

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