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2021-04

防衛-神経精神症 ――後天性のヒステリー、多くの恐怖症および強迫表象、およびある種の幻覚性精神病について心理学的な理論を構築する試み

防衛-神経精神症 ――後天性のヒステリー、多くの恐怖症および強迫表象、およびある種の幻覚性精神病について心理学的な理論を構築する試み(渡邉俊之 訳 2009)
Die Abwehr-Neuropsychosen : Versuch einer psychologischen Theorie der akquirierten Hysterie, vieler Phobien und Zwangsvorstellungen und gewisser halluzinatorischer Psyhosen (1894)

 フロイトの神経症理論を構築する基礎概念の多くが、はじめてここで明確に打ち出されている。その中心となるのが、題名ともなっている「防衛」である。

つまり、防衛の能力を有する自我は、相容れない表象を《到来しなかった》表象として取り扱うという課題を自分自身に課す。しかしながら自我はこの課題を直接解決することができない。記憶の痕跡もその表象に付着している情動も、いったんそこに存在してしまうとこれを消し去ることができないからである。(1-397)

 ここに示されているように、防衛とは自我の働きである。
 それは「相容れない表象」を遠ざけるためになされる。
 課せられた課題を自我は直接解決できずに、防衛によってなすのである。

 相容れない表象は、大抵の場合に性生活に関するものである。少なくともこの時点でフロイトが経験した症例では、すべてそうであったという。本論文で提示されているケースはみな女性なのだが、こっそりマスターベーションに耽ってしまったとか、ふしだらな性愛的な考えを抱いてしまったといったことである。そういったことが、防衛-精神神経症の病因を形づくる。

 どのような防衛がなされるかという、この先の成り行きは、疾患によって異なる。

 ヒステリーは、類催眠ヒステリー、防衛ヒステリー(後天性のヒステリー)、鬱滞ヒステリーの三種に分類され、この論文では防衛ヒステリーに限定して話を進めている。『ヒステリー研究』共著者のブロイアーが「類催眠状態」を強調したことなどへの配慮もあったのかもしれない。

ヒステリーでは相容れない表象のその興奮量全体を身体的なものへと移しかえることによってその表象を無害化する。これをわたしは転換と呼ぶことを提案したいと思う。(1-398)

 無害化されるといっても、すべてめでたしに終わるわけではなく、むしろ自我は大きな代償を払わされることになる。それが「想い出-象徴」であって、具体的には元の表象と象徴的につながった身体症状や幻覚的感覚である。

 次に、恐怖症と強迫表象の場合。

神経症にかかりやすい人に、転換の適性はないけれども、耐えがたい表象を防衛する適性があって、こういった表象を情動から引き離そうとすることが行われる場合、このような情動は心的領域にとどまるにちがいない。こうして弱体化された表象はすべての連想から切り離されて意識のなかに残る。しかしその表象から自由になった情動は、それ自体は相容れなくはないほかの表象と結びつくこれらの表象がこういった「誤った結合」を通じて強迫表象となるのである。(1-400)

 こちらの防衛は、「情動からの表象の分離とその情動の誤った結合」あるいは「情動の配転」と呼ばれる。また、後には「遷移」と呼ばれることになる過程である。

 「ある種の幻覚性精神病」における防衛は、次のようになる。

この防衛の本質はすなわち、自我がその耐えがたい表象をその情動ともども棄却してしまい、自我はあたかもそのような表象が自我のなかに一度たりとも入り込んではいなかったかのように振舞おうという点に存する。ただし、これが成功した時点で、この人物はおそらく「幻覚性錯乱」としか分類できない精神病の状態になるだろう。(1-408)

 この防衛は「精神病への逃避」と呼ばれる。そのまんまという感じだが。

 さて、自我が直接的に解決するのではなしに用いる防衛とは、いかなる過程なのだろうか。それは、「意識が関与せずに生じる過程である(1-402)」という。それは、「心的な性格をもつ過程ではまったくなく、物理的な過程(1-402)」であるという。

 後のフロイトであれば、ずばり「無意識的な過程である」と表現するところであろう。
 ちなみに、後に重要な術語となる「抑圧」という言葉もこの論文にすでに見られるが、まだ特別な概念として強調されているわけではない。

 最後に、後の経済論的観点、恒常性原則、リビード理論などの萌芽ともいえる記述がみられる。それは、「補助表象」として言及されている。

それは――わたしたちはこれを測定する手段をもたないのだが――心的な諸機能について量としてのあらゆる特徴を有するなんらかのもの(情動総計、興奮量全体)が区別されるべきであるという表象である。それは、増量したり、減量したり、遷移したり、放散したりすることができ、表象の記憶痕跡のなかにまで広がり、いうなれば身体表面に広がっている電荷のようなものである。(1-410)

 まとめると、本論文は防衛という概念を中心にした神経症病理のモデルを提示しており、そこには後に精神分析理論に発展する要素が多く含くまれている。

H22.3.1

テーマ:書評 - ジャンル:本・雑誌

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