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精神分析について

精神分析について(福田覚 訳 2007)
Über Psychoanalyse (1909)

 一九〇九年九月、フロイトはアメリカのクラーク大学の創立二十周年記念行事に、学長のスタンリー・ホールによって招かれ、精神分析についての講演を行った。五日間連続で行われた一般向けの講演の内容は、帰国後フロイト自身により書き留められ出版された。

 治療技法としての精神分析の発見と発展、その初期の理論についてわかりやすく、興味深くまとめられている。フロイト一流のユーモアもいたるところに散りばめられており、後期理論は含まれていないものの、読みやすさの点ではフロイト入門として格好の文章といってよいだろう。


第一日

 五日間の講演の第一日目は、ブロイアーとの協力によってヒステリーに対する心理的治療としての精神分析が開発され、その最初の理論が形作られたいきさつについての話であった。この講演の頃のフロイトは、ブロイアーに敬意を表して、「精神分析を生み出したことが一つの功績であるとすれば、それは私の功績ではありません(9-111)」と述べている。しかし、1923年に付けられた注はこの発言を訂正している。1914年の「精神分析運動の歴史のために」において、フロイトは精神分析に対する責任を無制限に表明したのだ。たしかに実際の状況を見れば、精神分析はほぼフロイトが単独で開発したということの方が、事実に近いであろう。

 この日の講演でおもしろいのは、「ヒステリー患者は回想に苦しんでいる」ことを説明する比喩として、大都市を飾る記念建造物のことをあげているところだ。ロンドンにある、十三世紀のエレアノール王妃の葬列の記念に建てられたチャリング・クロスと1666年の大火を警告するために作られたモニュメント。それらの前で悲嘆にくれる現代のロンドン市民がいたとしたらおかしなことだが、ヒステリー患者とはそのようなものなのだという。


第二日

 二日目の講演では、抑圧についての説明がなされる。ヒステリーについては、フランスのシャルコーとその弟子P・ジャネが心的な機制という点から研究をしていた。その考え方は、ブロイアーとフロイトのものと近いところもあるが、根本的な要因のところが異なっている。ジャネの考え方によると、ヒステリーにおける心の解離は、患者がもともと心的な統合作用の弱さをもっているためにおこるとされる。
 これに対し、フロイトの理論では心の葛藤が重視される。個人の中で他の欲望と相容れない欲望が、それに結びつく想い出と共に抑圧されることが、病気の根本的原因を形作る。

 この日の講演でも、説明のためのおもしろい比喩が登場する。講演の行われているホールで、もし大きな音をたてるなどして邪魔をする人物がいれば、彼はその場所から「締め出される(抑圧verdrängenされる)」だろうという。抑圧されたものの回帰としての症状形成、そして分析治療による症状の解消までの過程がこの比喩によって解説される。つまみ出された男を行儀良くするよう約束させた上でホール内に再び招き入れるスタンリー・ホール学長が、葛藤を調整して治癒を助ける分析医である。こういう社交辞令も織り交ぜた話しぶり、実にうまいとしかいいようがない。


第三日

 第三日目からの講演は、二日目までのホールとは別の、大学図書館の美術室で行われた。同じ日の同じ場所で、フロイトの前にはユングが講演をしていた。両方を聴いた聴衆も多かったであろう。今から考えると、まさに夢のような講演会であったわけだ。

 講演の内容は、分析技法から夢の解釈、失錯行為へと及んでいく。その中でも、ユングなどチューリヒ学派の業績を高く評価しており、また「抑圧されたコンプレクス」といったユング的な言葉使いも多用していた。
 この後で、ユングとフロイトは袂を分かつことになる。そう考えると、これはますます貴重な歴史的瞬間の記録であるともいえよう。


第四日

 第四日は、神経症の原因としての性愛、そして小児の性的な発達についての講演である。論文でいえば「性理論のための三篇」に相当する内容であり、これまでの講演よりは難しく、初めてフロイト理論に触れる聴衆にはきびしかったのではなかろうか。

 まず目についたのは、小児の性欲を説明するのにクラーク大学の研究員であるサンフォード・ベル博士の論文をひいていること。論文では、2500もの実証的な観察例に基づく研究から小児における性的な起源を結論づけている。招待された大学の研究者の論文をひいてくるとは、なかなかのサービスぶりだ。

 また、ハンス症例についての報告をユングの講演で紹介された女児の観察例(「アンナ」実のところユングの娘アガーテ)とからめて論じたりもしている。もっとも、解説によるとこの部分は実際には第五日に述べられたもので、フロイトが執筆する際にホールの許可を得て改変した部分のひとつとのことである。

 そして、神経症の中核的コンプレクスに話題がおよび、エディプス王の神話やシェイクスピアの「ハムレット」の逸話がひかれる。ただし、ここでは「エディプスコンプレクス」という言葉は使われない。この言葉は、本講演の直後に書かれた論文、「性愛生活の心理学への寄与Ⅰ――男性における対象選択のある特殊な類型について」で初めて登場するのだ。


第五日


 最終日の講演では、空想、転移、そして分析治療の最終目的についての話題である。すべての人間にとって、文化が高い要求をつきつけてくる現実はつらいものであり、空想を抱いてその中で欲望を満たすという必要が生じる。エネルギッシュな生き方をする人は、行動によって現実を自らの空想に合うように変えていく。それが出来ない人は、現実に背を向けて空想にこもっていくのであるが、それだけでは済まない。ひとつの活路は芸術を創造することである。もうひとつの結末は、神経症にかかることである。どちらの結末でも、そうすることによって現実と再びある種の関係が築かれることになる。

 転移は、治療において患者が医者に向けるある大きさの情愛の念であり、そこには患者の無意識な古い空想的欲望が表現されている。医者は自らが触媒酵素の役割をはたし、この情動を一時的に引き受け、それを支配下に置くことによって心的なプロセスを望ましい方向にむけていく。フロイトの支持者は、転移を経験することで初めて神経症の病因に関する彼の見解の正しさを確信するようになったという。

 治療によって抑圧から解放された欲望の運命には、三種類ある。第一は、成熟した自我によって断罪されること。第二は、昇華によってより良い目的に使われること。そして第三は、直接的な満足を与えられること。
 こうして並べてみると、第二の昇華が一番望ましいように見える。しかし、すべての性愛的欲望を昇華に振り向けることはできない。性の制限があまりに広範に行われるなら、やりすぎによるあらゆる害がもたらされるであろう。シルダという街の笑い話によって示唆される警告によって、講演は締め括られている。
2008.1.24

テーマ:書評 - ジャンル:本・雑誌

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