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詩人と空想

詩人と空想(道籏泰三 訳 2007)
Der Dichter und das Phantasieren (1908)

 われわれが文学作品を読んで感動する、その快の源泉がどこにあるかという問題について論じた、大変興味深い文章である。フロイトはこの話題について、第一に子供の遊び、第二に大人の空想あるいは白昼夢との関連から考察をしている。

 まず、遊びであるが、ここで主にイメージされているのは、ごく小さい3、4歳くらいの子供がする一人遊びのことだ。例えば両手に持った積み木を自動車か何かに見立てて、なにやらぶつぶつ小声でつぶやきながら一人で空想の世界で遊んでいるという、あれである。もちろんその連続上に、仲間どうしでルールを決めて行う「ごっこ遊び」なんかも発展していくわけだが、まず原点にあるのは一人遊び。
 子供を観察していたら、彼らが実に熱心にこの手の遊びに耽っていることがよくわかる。

 フロイトがあげる子供の遊びの特徴は、まず彼らが真剣なこと。しかし、いくらのめり込んでも現実と遊びの区別はしっかりとついていること。そして、子供は遊びをことさら周囲にアピールすることもなければ、隠れてこっそりするわけでもないということ。
 子供が大人になると、このような空想遊びはしなくなるのだが、その代わりに白昼夢に耽るようになる。しかし、大人は子供と違ってそれをすることを隠すのである。なぜなら、それが現実への不満を空想の中で充足させようとすることであることがわかっているから恥ずかしいのである。

こう言ってよろしかろうと思いますが、幸福な人は空想しない、空想するのは満たされない人にかぎるということです。満たされない欲望こそ空想の原動力でして、個々の空想は、いずれも欲望成就であり、満足をもたらしてくれない現実を修正せんとするものなのです。(9-231)



 このように現実で満たされない欲望の成就ということが、子供の遊びと大人の空想の共通の目的である。そして、子供において一番大きな欲望は大人になりたいということであり、したがって遊びは「大人ごっこ」であるといえる。
 遊んでいる子供は気楽なように見える。しかし、人間は、認識すればする程に満足できない現実の中に生まれてくる不幸な存在なのであり、それゆえ子供は遊ばざるをえないのだともいえる。


三つの時間

 子供の遊びと大人の空想(白昼夢)は、共に欲望成就であり、したがって夜に見る夢とも本質的に同じである。そしてそれらは、作家の作る物語とも共通した構造をもっているのである。それは、欲望の基本的な構造といってもよいだろうが、空想が三つの時間、すなわち現在と過去と未来を貫いて生じるということだ。

心の作業は、何かある現時的印象、つまり、当人の大きな欲望のひとつを呼び覚ますことになった現在における何らかのきっかけにもとづいて始まり、そこから続いて、その欲望が成就されていたかつての――たいていは幼児期の――体験の想い出へとさかのぼり、そして最後に、その欲望の成就した姿としての未来のある状況を創り出すのでして、それがほかでもない、白昼夢ないし空想ということになります。(9-232)



 欲望成就の構造を示したシンプルにして見事な図式である。と同時にこれは、人間にとっての時間感覚というものについても実に含蓄の深い示唆を与えているのではないか。


小説のおもしろさ

 子供の一人遊びの代理物として、大人は白昼夢を欲望成就の方法としてみるけるわけだが。この新しい方法も、完全に満足できるものではない。あまり空想に耽りすぎると、それは神経症に陥る要因になるかもしれない。
 とにかく、大人にとって空想とはこっそり隠れてすることなのだ。自分の空想は恥ずかしくて人に語れるものではない、ということは皆わかっている。

 大人の空想を代理するもっといい方法は、小説などのフィクションに熱中することである。読者は、主人公になりきって、現実で満たされない欲望を成就させることができるのだ。しかも、それを読むことは恥ずかしいことでも何でもなく、同じように感動した友人とその喜びを語り合うことができるのだ。
 どうしてこのようなことが可能になるのか。それは、個人が抱きがちな普遍的な空想を抽出して作品に仕立て上げる作家の技巧によるものなのだが、作家自身ははっきりその技巧を意識していないかもしれない。

 フロイトの分析では、その技巧は第一に空想の中心部をぼやかしてわかりにくくすること。つまり夢の歪曲と同じ。そしてもうひとつは、ここがよくわからないのだが、「空想を叙述するなかで純粋に形式的すなわち美的な快をもたらすことによって、われわれを魅了するということ(9-239)」ことだという。主人公が逞しい体とすばらしい剣の腕前を持っていたり、絶世の美女が現れたり、美しい自然が描写されたりといったようなことをさすのだろうか。
2008.2.12

テーマ:書評 - ジャンル:本・雑誌

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