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「文化的」性道徳と現代の神経質症

「文化的」性道徳と現代の神経質症(道籏泰三訳 2007)
Die "kulturelle" Sexualmoral und die moderne Nervosität (1908)

 クリスティアン・フォン・エーレンフェルスの著書『性倫理』(1907)に触発されて書かれた、社会・文化批判の論文。フォン・エーレンフェルス(1859-1932)はプラハ大学の哲学教授で、いわゆるゲシュタルト心理学を築いた人のひとりとのこと。

 エーレンフェルスの著作の内容については、フロイトの論文に書かれているサマリーから知るしかないのだが、なかなかおもしろそうだ。人間を健康で生命力旺盛の状態に保つための「自然的」性道徳と、生産的な文化的労働へと駆り立てていく「文化的」性道徳の対立という観点から、現代社会を分析している。そして、当時の西洋社会では文化的性道徳が優位に立っているためのさまざまな弊害がでているとの主張である。
 文化的性道徳の典型は一夫一婦制による性交渉の制限と、その結果としての二枚舌道徳、すなわち男性側の違反をこっそり許容するということである。そのために、ヒューマニズムは一定の限界以上には進展することができず、性淘汰の制限によって人間の体質改善が限られてしまうという。

 以上のようなエーレンフェルスの意見に対して、フロイトは文化的性道徳のさらなる弊害として、神経質症の蔓延ということを付け加えている。


神経質症および神経衰弱についての概論

 本論文の前半では、いろいろな著名人の引用がでてきておもしろい。
 ゲシュタルト心理学のエーレンフェルスに続いては、ドイツの神経学者ヴィルヘルム・ハインリヒ・エルプ(1840-1921)の『われわれの時代の増大する神経質症について』(1893)が引用される。そこでは、人々が現代的な生活の中で官能と享楽の激情を駆り立てられることが、神経質症の増加をもたらしていると主張されている。

 続いて、現存在分析の創始者ルートヴィヒ・ビンスヴァンガー(1881-1966)の『神経衰弱の病理学とその治療』(1896)。そこでは、神経衰弱の病因を現代生活におけるテクノロジーの進歩に結び付けて論じている。また引用箇所には「神経衰弱」という概念を提唱したジョージ・ビアード(1839-1883)の名もあがっている。

 さらに、ウィーン大学の精神医学者でサディズム、マゾヒズムの名付け親として知られるリヒャルト・フォン・クラフト=エービング(1840-1902)の『神経質症と神経衰弱的状態』(1895)。神経質症の蔓延は、社会の急速な変化によって、人々の神経系が緊張と消尽を強いられることが原因としている。

 神経質症および神経衰弱についての当時の考え方を概観した後に、フロイトの『神経症小論集』(1906)が引かれ彼自身の理論が紹介されることになる。


神経症の分類

 フロイトの神経症の分類は、現代のもとのとは少し違うので、ここにまとめておこう。

現勢神経症(Aktualneurose)
狭義の神経症であり、中毒性の性質をもつ。現在の性生活の障害がその原因。神経衰弱と不安神経症が含まれる。

精神神経症(Psychoneurose)
遺伝的影響がより大きい。症状は心因性で、性的な内容をもった無意識的コンプレクスによる。ヒステリーや強迫神経症が含まれる。

 本論文で話題になっている神経質症(Nervosität)は、現勢神経症と精神神経症の両方にまたがる諸症状の観察される幅広い状態を指しているようだ。


文化による欲動の抑え込み

 本論文が書かれた1908年は、現在2008年のちょうど100年前ということになる。100年前の西欧社会についての分析と批判なのであるが、そのまま現代の日本にもあてはまりそうなことが多い。

 テクノロジーの発達による生活の急速な変化によって、人々が精神的に疲弊して神経質症の蔓延をもたらしているという。現代社会がストレス社会と呼ばれ、うつ病をはじめとする精神的不健康が増加しているということも、これと類似した現象と捉えられるのではなかろうか。

 フロイトは諸論者の説を認めつつも、そこで指摘されていない最大の要因として、文化による性欲動の抑え込みということをあげている。
 これを現代日本の社会にあてはめると、どうなるのだろうか。一見すると、われわれの文化では以前よりも性欲動の抑え込みは緩くなっているように見える。しかし、よくよく考えてみると、必ずしもそうではないのかもしれない。

 例えば、もう数年くらい前のことにはなるが、「不倫」という言葉がブームのようになったことがある。結婚した男女が夫婦以外の異性と関係をもつといったことを題材とした小説やらドラマが大流行した。
 このような現象を見ると、あたかも婚外交渉のごときが以前よりも自由に行われているかのような印象を与えられる。実際のところは、どうなのか私は知らないし、信頼できるデータが存在するかどうかもわからない。ただ、不倫がブームになった時には、それに反対する声もまた大きく盛り上がったことも事実であろう。

 現代日本の社会においては、従来の価値基準から見て不道徳なことも含めて、やたらと刺激的な欲求がフィクションなどによって駆り立てられている。このために、そこで暮らす個人は、以前よりも強烈で倒錯的な性欲を抱くようになっている傾向があるだろう。にもかかわらず、大半の人々は現実にはさほど自由に欲求を満たせているわけではない。したがって、欲望されるものの大きさと、実際に満たされるものの大きさの比率からすると、性的欲求不満はますます増大しているといえるのではなかろうか。


夫婦生活の実態

 諸々の性欲動を抑え込む文化が、唯一公式に認めている性生活が結婚生活である。しかしながら、そこで得られる性的満足が、いかに短時間しか続かず、わずかで不十分なものであるかを、フロイトは滔々と語っている。

 それにしても、夫婦生活の実態について、いかなるデータから一般論を引き出したのか気になるところだ。このような内容を公言すれば、当然人は「フロイト家ではそうなのか」と想像してしまうであろう。そう考えると、これはなかなか勇気ある発言である。あるいは、ここに書かれていることは当時の常識だったのか。

性行為の結果に対する不安とともに、まずは夫婦相互間の肉体的情愛が消えうせ、たいていの場合、これに引きつづいて、当初の怒涛のごとき情熱のあとを継ぐはずだった心の面での愛着も霧散してしまう。こうして、ほとんどの結婚生活の運命的到達点としての心の面での幻滅と肉体面での不足不満のもとで、夫婦はともに、結婚前のかつての状態に逆戻りすることになる――ただし今回は、錯覚がなくなった分だけより貧しくなり、そのうえ、あらためて、性欲動を制御し他へ逸らせるという覚悟を強くせざるをえないのである。(9-267)



 「結婚生活の運命的到達点」の後に、夫は、妻は、どうなるのか。多くの男性は、「しぶしぶながら黙認されているいくらかの性的自由を行使する」という。これは、売春などの手段を利用するということであろうか。

 女性の場合には、姦通をするか、躾が厳しくてそれもできない場合には、もはや神経症への道を歩むしかなくなるのだという。

 姦通というのは、当時それほど一般的なものだったのか。そういえば、スタンダールやバルザックの小説を読んでいると、結婚した女性が若い男と姦通する話がやたらと出てきて、夫がそれを黙認しているようなこともあり、当時の社交界ではそんなものだったのであろうかと思ったことがある。


禁慾の害

 この論文は実におもしろい。特に、性生活の分野において禁欲的な生活を送っているタイプの人にお勧めである。
 フロイトは、これでもかとばかりに、禁欲のもたらす害を並べたてていくのだ。

むしろはるかに頻繁に見られるのは、禁慾が実直な弱虫を育て上げるという事実、強い個人によってふきこまれた衝動に抗いながらも従ってゆくのを常とする大きな群衆のなかにやがて埋没してゆく弱虫をつくり出すという事実である。(9-270)



 禁欲をすることは個人にとってはつらいが、社会的には無難な態度である。禁欲的に暮らしていて、誰かから文句を言われることはあまりない。でも、それは人に非難されたくないことを最優先する弱虫の態度なんだね。

人が性愛においてとる振舞いは、往々にして、その人が人生で見せるそれ以外のすべての反応の仕方の範例ともなっている。(9-272)



 性的な対象を獲得するのに積極的な人は人生の他の分野でも積極的だし、性的欲動を断念する人は他の分野でも融和的で忍従的な振舞いをするということだ。


マスターベーションの害

 禁欲をつらぬくにあたって、多くの人にとって重要になってくるのが、代理満足としてのマスターベーションである。そして、このマスターベーションにもまた大きな害がある、とフロイトは説く。

そればかりかマスターベーションは、甘やかしによって性格をだめにしてしまう。(9-273)



 つまり、マスターベーションは現実の性行為に比べて、あまりにも簡単にできてしまう。そして、その空想の中で、性的な対象が、あまりにも素晴らしいものに理想化されてしまう。これらのことが問題なのだ。

 現代における男性のマスターベーションの実情については、実は間接的に伺い知ることができる。それは、いわゆるAVビデオをはじめとするポルノである。それらはマスターベーションに伴う空想の材料とされるため、それによって男性らの空想の平均的動向を推し量ることができるのだ。性的対象はますます理想化され、それを求める行為はますます倒錯の度合いを高めており、それによって現代の青年はますます甘やかされていることがわかる。


そのツケは子供たちへ

 文化による性欲動の抑え込みによって、多くの結婚生活は実りの少ないものになってしまう。そして、そのような不幸な連鎖の最終的なツケは、子供にまわされることになるのだ。

夫に満足していない神経症の妻は、自らの愛の欲求を子供に転移するため、母親として、子供に対して過度な情愛と気遣いを向け、子供の性的早熟を呼び起こす。加えて、両親の関係がしっくり行っていないために、子供は、感情生活を刺激され、ごく幼くして、愛情や憎悪や嫉妬を強烈に感じるようになる。(9-275)

 子供に掻き立てられた強烈な感情は、教育によって抑え込まれ、それが神経症の素質を形成する。こうして、神経症は世代を通じて拡大再生産されていくわけである。
 ぞっとするような話だが、これもまた現代社会で進行している家族の病理に、そのまま当てはめることができそうである。
2008.2.23

テーマ:書評 - ジャンル:本・雑誌

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