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女性同性愛の一事例の心的成因について

女性同性愛の一事例の心的成因について(藤野寛 訳 2006)
Über die Psychogenese eines Falles von weiblicher Homosexualität (1920)


 本ブログでは初の症例研究だ。
 フロイトの症例論文としては、「ドーラ」、「ハンス」、「鼠男」、「狼男」といったところが有名である。それらに比べると本論文は短いものであるが、それでも多くの興味深い要素を含んでいる。

 思春期の女性症例ということで、ドーラのことを思い出させる。親が子供を治療に連れてきたという、動機づけの問題が、最終的に治療継続を困難したという点も共通している。さらに、その治療中断に至る経過の中でフロイトが彼女らにとった態度が、例えば鼠男に対するそれに比べてどうも私には冷たく感じられるのだ。フロイトは思春期の女性が苦手だったのだろうか。そこには、彼自身の個人的な問題が潜んでいるのではあるまいか。
 といった風に、フロイトを分析してみたくなる。恐れ多いことのようだが、別に治療をするわけではいから誰にも迷惑はかけないし、私ごときが何かを言ったところで彼の名誉を傷つけるわけもなかろう。

 フロイトは精神分析における治療者の中立性を強調した。しかし、人間である以上完全に中立であることはできない。症例報告には、分析者自身の姿も映し出されている可能性がある。そのあたりを考えながら読んでみるとまたおもしろい。

H19.3.31

都合のよい要求

自分の好みと要求に合った別荘を設計するよう建築家に注文する建築依頼者とか、あるいは、芸術家に聖人画を描かせる際、祈りを捧げる自分自身の肖像が描かれるスペースをその片隅に確保しようとする敬虔な寄進者といった人が身を置く状況は、精神分析の条件とは根本において相容れない。(17-241)

 フロイトは比喩の名人である。本論文でも、他の部分では分析治療の段階を汽車旅行の過程に例えたりもしている。

 事例は18歳の少女で、10歳程年長のふしだらな女性に惚れ込み、そのことを父親に責められて自殺の試みをした後に、両親の手によって治療にゆだねられた。
 この治療が最初からむずかしいものであった理由が2つ挙げられている。

 第一点は、少女が両親に連れてこられたということ。分析治療では、葛藤をかかえる個人が自ら治療を求めるという前提が重要である。苦悩から解放されたいという切実な思いが、困難な治療を乗り越えるための力になる。人に連れてこられたのでは、このような動機づけが充分でない。

 さらに、往々にしてその連れてくる人物自体が本人の葛藤に大きく関わっている。両親は、子供を自分の思いどおりのいい子に治してくださいなどと都合のよい要求をもって治療者の元を訪れるが、そういう親の身勝手な思いこそが当事者の悩みの原因であったりするのだ。
 本事例においても、不品行な振る舞いによって両親に恥をかかせて復讐することが、彼女の行動の無意識的な決定要因のひとつであった。これでは治るはずがない。治らないことで親に復讐を続け、親の協力者としての治療者の顔にも泥を塗ることが彼女の本望であろう。

 むずかしさの第二点は、同性愛というものがそもそも病気ではないということ。これについては、次の記事で。

H19.4.1

同性を愛せますか

一般に、発達しきった同性愛者を異性愛者に変えようとする企ては、その逆方向の企てより成功する見込みがずっと大きいというものではない。後者については、実際上の理由から、かつて試みられたためしがないだけの話である。(17-242)

 フロイトのこういうユーモアは、なんともおもしろいということで終わらず、実に含蓄が深いものである。
 確かに、異性愛の傾向を持つ人を同性愛に変えようなどということは、仮定してみたこともなかった。そのこと自体が、ある種の偏見だったのかもしれない。

 そこで、自分が異性愛者だと思う人は想像してみてください。精神分析療法によって、自分自身を同性愛者に矯正することができるかどうか。「とてもできそうにない」と、思うに違いない。また、そんな矯正をしようとは決して思わないという結論に達することだろう。仮に異性愛が社会的に禁じられており、発見されたら重い罰や人々からの軽蔑を科せられるとしても、あなたは自分の恋愛の自由を守りぬこうとするであろう。

 同性愛者を異性愛者に変えることのむずかしさということも、そう考えると随分納得しやすくなる。

H19.4.2

愛のかたち

 本ケースが同性愛であるということは、彼女の愛の対象が女性であるということであるが、もうひとつ重要なのは彼女がどのような愛し方をしていたかということである。

 フロイトが「ナルシシズムの導入にむけて」(1914)などで述べているところによると、男性は対象を理想化するような愛し方をし、女性は愛されることにナルシス的な満足を求める傾向があるという。

つまり、彼女は、愛する男性に特有の謙虚さと見事な性的過大評価の姿勢を示し、ナルシス的な満足はことごとく断念し、愛されるより愛することを優先した。つまり彼女は、対象として女性を選択しただけでなく、男性的な姿勢でそれに対してもいたのである。(17-247)

 本事例は、男性的な姿勢で女性を愛していたということだ。
 ちょっと注意しないといけないのは、同性愛のペアで、よく「男役」とか「女役」という言い方をするが、これとフロイトの言う男性的姿勢・女性的姿勢とは一致しない。それどころか、逆のことが多いかもしれない。レズビアンのペアでの男役は、女役に慕われることにナルシス的な満足を覚えるという意味では、女性的な姿勢をとっている。女役の方がむしろ男性的な愛し方をしていると言えるであろう。

H19.4.3

恋愛と友情

 フロイトの考えによれば、すべての人間は女も男も、両方の性を愛する素質を持っている。通常は、同性への愛は、友情と呼ばれるが、これは本質的には異性への愛と変わらない。

われわれのリビードはすべて、普通は、生涯を通して男性的対象と女性的対象との間で揺れ続けている。独身の男性は結婚すると、男友達とのつき合いをやめてしまう。しかし、結婚生活が味気ないものになると、仲間同士のたまり場のテーブルに戻っていく。(17-252)

 つまり、恋愛感情と友情というのはシーソーのように一方が高まれば他方が減じるという傾向がある。フロイトの挙げている例は男性のものだが、女性でも似たようなことは観察されるだろう。

 同性への愛が、友情を超えて同性愛と呼ばれるまでに高まるのは極端なケースである。そこに至る要因としては、生物学的素質なども含めてさまざまなものがあるだろうが、心理的にはなんらかの理由で異性への愛の道が閉ざされるということが大きな役割を果たす。
 本事例においても、同性愛の直接的契機としては、彼女が16歳の時に母が弟を出産したということが挙げられている。さらに、その母が自らの女性性をアピールし娘に対して競争的な態度をとったということがある。娘は母に敗北し、父および男性全体に幻滅し、女性を愛する道を選んだということだ。

H19.4.4

精神分析は予言できるか

 本事例の分析は、まことに鮮やかにすすんでいく。まな板の上の活魚を、板前がばっさばっさとさばいていくように。その包丁さばきは転移解釈において頂点に達する。少女の父親コンプレクスが、分析者に対する、気を引いておいて拒絶するという態度を招いているという分析。そこで治療の打ち切りが宣言され、続けたければ女医の元に行くようにとの忠告が与えられる。
 「ちょっとフロイト先生、まだうら若き乙女なんだから、まあお手やわらかに。」と、言いたくなってしまう。

 それはともかく、こういう分析の説明を聞いていると、「そこまでわかるのなら、幼児期のコンプレクスを分析してこれから起こることを予想し、精神障害等を未然に防ぐということはできないのか」という疑問がわく。これに、対するフロイトの答えは以下のとおり。

こうして、何が原因かを分析という方向の中で認識することは確実に可能なのだが、総合という方向でそれを予言するのは不可能という話になる。(17-266)

 つまり、実際に何が起こるかということは、多くの要因のそれぞれが、最終結果に対してどれだけの比重をもって働くかという、量的因子によって決まるのであって、分析はそこまでのことは与り知らんということのようだ。

H19.4.6

Nature vs. Nurture

 本事例が先天的な同性愛(というものがそもそも存在するのかということにも議論がありそうであるが)なのか、獲得されたそれなのかということは、論文の重要なテーマとなっている。
 この件についてフロイトは最初に問題提起をしておきながら、なかなか読者に自分の考えを示さずに思わせぶりに論を運んでいる。そして、「この事例は後天的に獲得された対象倒錯に分類するのがもっともだ、とわれわれには思われた(17-226)」などと述べたかと思うと、「今題材を再検討してみると、むしろ、ここに見られるのは先天的な同性愛である、‥‥という結論が否応なく浮上してくる(17-269)」と、ひっくり返す。
 「どっちなんじゃ?!」と、詰め寄りたくなるが、結局のところ「氏か育ちか」というこの問い自体が、われわれが思っている程意味深いものではない、というのがフロイトの言いたいことのようだ。

理論の中でわれわれが――遺伝と後天的獲得という――対立するもののペアに分解しがちなものは、観察の中では、常々そのように混ざり合い一体となって存在しているのだ。
(中略)
こういう問いの立て方の価値をそもそもあまり高く見積もらない場合に、われわれは正鵠を射ることになるのだろう。(17-269)

H19.4.8

Nature via Nurture

 今回は、少しわき道にそれて、本の紹介。

やわらかな遺伝子 マット・リドレー著 中村桂子・斉藤隆央訳 紀伊國屋書店

 原題は"Nature via Nurture"(生まれは育ちを通して)であり、"Nature vs. Nurture"(氏か育ちか)という句をもとにした語呂合わせになっている。「利己的な遺伝子」(R・ドーキンス)以来、「~な遺伝子」といった題名の本をよく見かける。原題は違うのに「愛となんとかのなんとか」という邦題をつけられた映画が多いのと同じようなものか。

 それはともかく、本書は大変興味深く内容もしっかりした本だ。ドーキンス氏も絶賛している。
 近年の分子遺伝学の発展を受け、人間が遺伝によって、あるいは環境によって、いかに作られるのかということについての重要な論者を12名あげてそれぞれの考え方を紹介している。
 その12名は以下のとおり。チャールズ・ダーウィン、フランシス・ゴールトン、ウィリアム・ジェームス、ヒューゴ・ド・フリース、イヴァン・パヴロフ、ジョン・ブローダス・ワトソン、エーミール・クレペリン、ジグムント・フロイト、エミール・デュルケーム、フランツ・ボアズ、ジャン・ピアジェ、コンラート・ロレンツ。
 最終的に著者の考えは、対立するものと捉えられがちな12人の主張はすべて正しいのであって、氏か育ちかという問い自体が一面的であるということのようだ。

 今回この本をとりあげたのは、もちろんリドレーのあげた12人の中にフロイトが入っているからである。本書はこのようなジャンルのものとしてはフロイトを好意的にあつかってはいるのだが、氏か育ちか論争という座標軸において彼を育ち論者として捉えている点はやはり誤解と言わざると得ないであろう。前の記事(Nature vs. Nurture)で述べたとおりで、フロイトの考え方というのは、実はリドレー氏にとても近いものである。

 フロイトは精神分析の臨床を通して心を捉えようとしたから、自ずと幼少期の体験といったことを重視せざるを得ないのであった。しかし、経験を積むほどに、それらの幼児体験の普遍性に気づくようになり、その体験の背後にある太古からの遺産というものに注目するようになった。これは、人間を個人という枠を超えた歴史的存在として捉えることであり、遺伝によって伝えられたものを重視する見方でもある。

H19.4.9

ロシア流はいかが?

強迫神経症のケースでは、抵抗は、非常にしばしばこのロシア流の――と呼べるだろう――戦術に従おうとするのであって、その結果、しばらくの間は、この上なく明快な成果が得られ、また症状の原因に対する深い洞察が得られる。(17-260)

 瑣末なことなので記事にしようかどうか迷ったが、一応。
 上の引用の「ロシア流」とは、どんな意味なのか。文脈からは、途中までは抵抗なく進ませておいてある箇所からはテコでも動かないという戦術のようだが。
 ちょうど「戦争と平和」(トルストイ)を読んでいるところなので、ナポレオンによるロシア遠征(1812)の際のロシア側の戦術がモデルになっているのかとも推測した。

 ネット検索で「ロシア流」とひいてみると、「ロシア流交渉術」、「ロシア流民主主義」、「ロシア流暗殺」、「ロシア流ウォッカの飲み方」など、いろいろ出てくる。調べようとした内容にぴったりくるものはなかったが、なかなか興味深かった。総じて、あまりよろしくない意味あいのものが多いようだ。

 さらに「国名+流」という言葉で、いろいろ検索してみる。そもそも「国名+流」という言い方自体が、「別の国の奇妙な流儀」というニュアンスを含んでいるようだが、それでも国ごとに一定の傾向がありそうだ。日本人が抱いている各国への感情が反映されているようでおもしろかった。興味のある方はどうぞ。

H19.4.10

テーマ:書評 - ジャンル:本・雑誌

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重元寛人です。本名は佐藤寛といいます。
フロイト全集の読解を再開いたします。よろしく。


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