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みずからを語る

みずからを語る(家高洋・三谷研爾訳 2007)
Selbstdarstellung (1925)


 本書は1925年に出版されたフロイトの自伝的な作品である。自らの生涯を振り返りつつ、治療技法としての精神分析の進展とそこから導き出された理論の発展を概説している。

 フロイトをこれから学びたいという人へのアドバイス。いろいろな解説書の類があるが、やはり本人の書いた著作を読むのがよい。そしてこの「みずからを語る」から始めるのがお勧めである。

 他にもフロイト自身の著した一般向けの解説はいろいろある。有名なのは「精神分析入門講義」で、これもすばらしいのだがちょっと長い。途中で挫折しそうである。

 本書のよいところは、重要な著作名を挙げながら内容の解説やコメントをしていることだ。これで全体を把握した後で、興味をもった著作に進むことができる。というか、私もかつてはそうしていた。


生物学者としての出自

 ウィーン大学医学部でのフロイトの最初の研究活動は、エルンスト・ブリュッケの生理学研究室でのヤツメウナギの脊髄についてのものだった。続いて脳解剖学研究室では、人間の延髄についての研究にはげんだ。

 脳解剖学に飽き足らなかったフロイトは、神経疾患の臨床に乗り出し、症例研究を積み重ねていく。「しだいにこの分野に通じるようになり、病理解剖学の専門家も付け加えることがないほど正確に、延髄内の病巣を特定できるようになった(18-69)」という。

 これはすごいことだ。延髄というのは脳幹の最下部にあって、様々な神経節や神経路が交錯するところである。解剖学の図譜を見るだけでめまいがしてくる程ややこしい。延髄に病巣を持つ神経疾患では、傷害される部位によって多彩なパターンの運動や感覚の麻痺がおこってくる。若きフロイトが神経徴候の診察から推定した病巣部位は、それが死後の病理解剖所見とぴったり合致していたというのだ。

 これだけで優秀な神経内科医として充分食っていけそうなところだが、彼がそのようにはおさまらなかったことは周知のとおりである。そして、そのおかげで我々はフロイト全集を読むことができるわけだ。


シャルコー

 千八百八十五年に、フロイトはパリのサンペトリエール病院に留学した。そこで学んだ師が、有名な神経内科医シャルコーである。

 シャルコーが偉かったのは、優秀な神経内科医であったというだけでなく、ヒステリーを病気として扱ったという点にある。これは、現在から見ると画期的なことであるが当時としては異論や反発も多かったようだ。ヒステリーは、神経疾患のように麻痺やけいれんなどの症状をきたすが、器質的な病変をともなわず、神経徴候が解剖学や生理学の法則に合致しない。だから、ヒステリーはにせの病気のように考えられがちだったのだ。

 そのシャルコーのヒステリー研究にフロイトは大きく影響を受けた。精神分析という学問への方向性のひとつが、ここで定められたといってもよいだろう。


ありあまる才能

 パリから戻ったフロイトは、ヒステリーに大層興味を持って臨床的研究にいそしんだが、一方ではまだそれ以外の神経学の仕事も続けていた。
 小児脳性麻痺、コカインの麻酔作用、失語症の研究など、多彩な方面での業績を残している。それぞれになかなかのものであったようだ。しかし、1891年頃にはそういった仕事にけりをつけて、神経症の診療と研究に専念することになる。

 フロイト全集は独語版でも英語版でも、基本的には精神分析に関する著作のみを扱っている。精神分析以前の神経学の論文は収録されていない。フロイトは、後になってからも一般医学論文への評論など精神分析に関係ない文章を時々書いていたようだが、そういったものも全集には含まれていない。
 今回の邦訳全集では、失語症の論文は精神分析理論との関連も大きいと判断されたためか第一巻に収録されることになった。画期的なことである。
 それ以外の論文も、全集とは別の形で是非とも翻訳出版していただきたいと、フロイトファンとしては思う。


ユダヤ・パワー

 ユダヤ系出身で優れた学問的業績を残した人は多い。フロイトはその筆頭に数えられる名前のひとつであろう。
 ユダヤ人が多くの分野ですばらしい才能を発揮しているのはなぜか。この問題は今日でもたびたび議論されるところだ。ひとつには、差別をばねにして跳ね返すパワーとでもいうようなものを、彼らは伝統的にはぐくんでいるのかもしれない。

 本著作でも、最初から自らのユダヤ人という出自を明言し、それゆえに学問の世界では不遇の扱いをうけたことを述べている。

つまり私は、野党的な立場にたち「安定多数派」からは追放されるという運命に、あまりにも早く親しんでしまったのだ。(18-67)


 もっとも、フロイト自身によるこういった捉え方は、実際よりも大げさなものであったという指摘もなされている。例えば、男性のヒステリー症例の学会発表が否定的に評価され、その結果「私は野党的な立場に押し込められた(18-74)」というくだりがある。注釈によると、当時男性のヒステリー症例の報告や議論はすでになされており、フロイトの発表が注目されなかったのは単に新たな発見がなかったからというのが事実であったとのことだ。

 そういう被害的な傾向はあったにせよ、それをエネルギーにして大きなことを成し遂げるというところはやはりすごいことだ。


ヨーゼフ・ブロイアー

 ヨーゼフ・ブロイアーとの関係については、かなりのページをさいて述べられている。アンナ・Oの症例をフロイトに話し聞かせ、それが共著の「ヒステリー研究」のきっかけとなったエピソードは有名だ。この本はまだ純粋に精神分析の著作とはいえないが、その先駆けとなるものである。以降の分析的著作はすべてフロイト単独の筆になるから、こういった形での共著は唯一のものになった。

 ブロイアーの方は、以後同様のテーマを追求することもなく、フロイトの方向性についていけなかったようである。仕事の面でも個人的な友情の面でも、二人は袂を分かつことになる。

 「ヒステリー研究」については、「同書が提出している理論のどこまでが私の働きによるものだったのか、いまとなっては見分けることがむずかしい(18-80)」と述べている。実際これは、二人の思考のコラボレーションが成し遂げたものだったのだろう。それを踏み台にして、フロイトは精神分析の世界に高く飛び立っていったが、ブロイアーはそうではなかった。


  ピエール・ジャネ

 治療技法としての、そして心理学体系としての精神分析の発展が語られた後に、ジャネについてのコメントがなされる。

 ピエール・ジャネ(1859-1947)は、フロイトとほぼ同時代に活躍したフランスの心理学者で精神医学者。パリのサンペトリエール病院でシャルコーに学び、ヒステリーを研究してトラウマや解離の概念によってその病理を捉えようとした。
 ジャネの著作は読んだことがないのだが(注)、どうやらフロイトの精神分析理論を自分の発見の真似であるようなことを述べているらしい。本書の脚注に引用があったが、確かにかなり手厳しい。

 それに答えてか、フロイトもジャネのことを批判している。「認識不足をさらけ出したばかりか、論法が見苦しかった」とか「ついに化けの皮が剥がれたわけで、彼の研究自体が値打ちを失った」など、非常に辛辣な言葉を使っている。
 まあ、こういう歴史上の論争というものも、今から見ると面白いが、当事者はやはりそうとうカッカときてたんだろうね。

注:ジャネのことは近年日本でも見直されているらしい。邦訳で読めるものに「症例マドレーヌ」がある。私は未読だが。


誘惑説から欲望空想説へ

 フロイトは初期の精神分析的経験から、神経症の原因は幼児期に体験した年長者からの性的誘惑であると結論した。性的誘惑の体験は事実としておこったものとみなされていた。
 「みずからを語る」では、この考え方は誤りであったとはっきりと認めている。

しかしやがて私は、そうした誘惑の場面はじっさいに起こったものではけっしてなく、患者たちが創作した空想(ファンタジー)にすぎないことを認識せざるをえなくなった。(18-94)


 ここのところは色々な批判の的となっている。近年においては、養育者による性的虐待によって生じた精神障害というものが注目されていて、すべてが幼児の空想だというフロイト説は養育者の責任逃れを合理化してしまうというのだ。

 たしかに本書のこの部分だけを読むと、フロイトは初期の誘惑説を完全に否定しているようである。しかし、全部が事実ではなかったというのも極端な話だ。もっと後の「モーセという男と一神教」あたりでは、両方の可能性があるというような、より穏やかな表現になっていた。

 フロイト理論は、かなり本質的な部分から末梢的なところまで、いろいろな点で変更がなされている。しかし、かならずしも後のものがよいとは限らないようでもある。


潜伏期のパワー

人間の性生活のもっとも注目すべき特質は、それが中間休止をはさんで二節的に起動することである。(18-97)


 フロイトの主張で特筆すべきものに小児性欲がある。これは、四、五歳の幼児にも性欲あるという主張である。このこと自体にびっくりしてしまいがちであるが、重要なことはむしろ性欲の発達に中間休止があるということなのではないかと思う。つまり、小児の性欲は連続的に大人の性欲に発達していくわけではないのだ。

 潜伏期というのは、今の学校制度でいえば小学校年齢に相当する。この間、性欲は決して眠っているわけではない。単に抑圧されているだけであり、そのために反動的な、あるいは昇華された活動が豊かに発達する。この昇華された活動こそは人間と他の動物とを区別している特質なのだから、潜伏期は豊かな人間性が発達する時期といえよう。

 たしかに、小学生年代というのは実におもしろい。教養、芸術、運動などさまざまな分野の才能がはなばなしく開花する。多くの子供が、得意な方面では大人顔負けの力を発揮する。なかには、神童と呼ばれるようなすごい能力を身につける子もいるのだ。


転移の解釈

 自由連想法の開発によって、精神分析の方法は完成した。分析の内容においては、抑圧されたものの解釈から転移解釈へと重点が移っていく。「転移をどのように扱うかが、精神分析の技法のなかで最大の難所であるとともに勘所(18-104)」なのだという。
 転移は精神分析によって発見されたが、精神分析のみでおこる特殊な現象というわけではない。それは、人と人との関係において常に生じるといってもよい、幼児期の感情体験の再演である。

つまり転移とはそもそも、ある人とその周囲にいる人びとの世界との関係を制御しているのである。(18-103)


 関係があってそこに転移が生じるというよりは、転移によってはじめて関係ができるということのなのかもしれない。
 一般的な人間関係で転移があまり意識されないのは、相互に投げかけあうものが合致すれば密接な関係になるし、合わなければ関係ができなし、途中から合わなくなれば関係が壊れるというように、自然に事の成り行きが決まっていくからであろう。


夢を通じて

 自由連想法から話題は夢解釈へと移る。ヒステリーおよび神経症理論から性欲論へ、そして精神分析技法の発展の話題の後に夢の話になるという、この展開の順序は本書の特徴かもしれず、おもしろい。
 夢解釈や失錯行為の研究は、精神分析の学問的地位を、単なる精神病理学の補助学問から、正常人を理解する上でも欠かすことのできないより基底的な心理学へと押し上げたのだという。

精神分析の前には、広大な領野へわけいる道、世界への関心の道が開かれているのだ。(18-108)


 これは、単なる偶然というよりは、最初からフロイトが抱いていた野望だったのかもしれない。そしてその方向性こそが、フロイト理論の幅広い分野への影響へとつながっているのであろう。


両価的な態度

 チューリッヒの精神医学者オイゲン・ブロイラーとカール・グスタフ・ユングが、フロイトの精神分析に興味を持ち、1906年以降学問的交流が生まれた。
 フロイトとユングの密接な交流と後の決別は有名な話である。ユングの師であり精神病理学の巨匠であるブロイラーとの関係は、もっと穏やかなものであったようだが、それでもフロイトの方はかなり不満だったようだ。

両価性(アンビヴァレンツ)という貴重な概念を私たちの学問に導入するにいたったのは、まさしくこの著者のおかげだったというのは、偶然ではなかったのである。(18-112)


 両価性とは、愛と憎しみのような対極にある感情が同時にひとつの対象に向けられることである。ブロイラーが統合失調症の特徴を描写する語として考案した両価性の概念を、フロイトは愛と憎しみの切り離せない性質を表すために用いた。
 ブロイラーはフロイトの精神分析にはかなり好意的であったようだ。しかし、それはフロイトの目には物足りず、ブロイラーが精神分析に対して両価的な態度をとっていると思われたのであろう。


アメリカン・サイコアナリシス

 ドイツの学会が精神分析に対して冷淡な態度であったことについては、フロイトは相当頭にきているようだ。本書の草稿を見たアイティンゴンは、ドイツ国民の野蛮性について述べたくだりは削除した方がよいのではと勧めたが、フロイトは頑として聞かなかったという。

 一方、当時のアメリカは精神分析をずいぶん好意的に受け入れたようだ。1909年には、フロイトはユングと共にアメリカに招かれて、クラーク大学で連続講演を行っている。
 アメリカでは、精神分析は非専門家のあいだに広く行き渡り、医学教育の重要な構成要素として認められたという。

ただ残念なことに、精神分析はアメリカではずいぶん希釈されてしまった。(18-114)


 よさそうなものは積極的に取り入れて、ブームのように広めてしまうというのは、いかにもアメリカのお国柄という感じがしておもしろい。コーヒーもアメリカンは薄めだし。


ユングとアードラー

 ユングとアードラーの離反については、先に書かれた「精神分析運動の歴史のために」に詳述されているとのことで、本書では簡潔にしかしきっぱりと記されている。

 本書が書かれた時点でフロイトの元を去った弟子は、ユング、アードラー、シュテーケルであった。なお忠実であった者は、アブラハム、アイティンゴン、フェレンツィ、ランク、ジョーンズ、ブリル、ザックス、プフィスター、ファン・エンデン、ライクであった。このうち、本書執筆の後にフェレンツィとランクは師と異なる意見を持つようになったという。

 このあたりの事情は、フロイトの弟子に対する狭量さとも批判されたりする。しかし、寛大な師がいいのかといえば、それはそれで弟子たちが好き放題して何が何やらわからなくなるってこともある。
 だいたい、弟子というものは師に反発してそれを超えたいと思うものなのだ。フロイト理論でいう「父親殺し」だな。


ショーペンハウアーとニーチェ

 フロイトは、常に哲学とは一定の距離をおいていた。経験から学ぶことを重視し、思弁的な考察にふけることに対して常に慎重な態度をとってきた。これは、彼自身が本当は哲学への強い志向を持っていることへの自戒でもあったようだ。

 ショーペンハウアーとニーチェの哲学が、精神分析のもたらした知識と、結果としてよく似ていると述べている。それは、両者が別の方法論によって、真実を言い当てているからだとフロイトは言いたいのかもしれない。

 ニーチェといえば、大学の頃『ツァラツストラ』に没頭したことがあった。天地がぐるぐるひっくり返るような経験であった。ずばり真実を言ってのけるような、奮い立たせるような魅力をもった文章に心酔したものだ。
 私にとってのニーチェ体験は、フロイト体験に先んじるものであった。やはり何か共通したものに惹かれるのであろうか。現在のフロイトへの傾倒は、かつてのニーチェに比べると、ずっと穏やかで息の長いものであるという気がするが。


精神病の精神分析

 精神分析は、主にその治療対象を神経症にして発展してきた。精神病圏の疾患は分析治療の対象にはならないとフロイトは考えてきたわけだが、「とはいっても、手も足も出ないわけでもないことがわかってきている(18-122)」と、本書では希望をもたせるような書き方をしている。
 フロイトも、軽度あるいは部分的な精神病圏の疾患の分析経験や、神経症か統合失調症か診断上の区別がつきにくいケースにも遭遇していたようだ。それらは、治療としては困難であるが学問研究においては有益なものだったという。というのは、「神経症では苦労して深みから掘り出さねばならないものの大半が、精神病ではおもてにあらわれていて、誰の目にも明らか(18-122)」だからという。

 フロイトの心理学モデルは、いろいろの点で精神病圏の疾患をも視野に入れた作りになっている。特に、第一局所論における退行の概念と、ナルシシズム理論と、思考過程の知覚についての見解は、幻覚や妄想を理解するのにとても役に立つ。


芸術論・文化論

 フランスへの精神分析の進出は、精神医学としてよりもむしろ文学の方面ではじまったという。
 私もフロイトの芸術論は大好きである。作品そのものの精神分析的解釈としては、「グラディーヴァ」、「ヴェニスの商人」(「小箱選びのテーマ」)、「ミケランジェロのモーゼ像」といったものがあり、作品を通して著者の人格分析をするものとしてはレオナルド・ダ・ヴィンチ、ゲーテ、ドストエフスキー論などがある。
 どちらかというと、後者の系列のものがより面白いと思う。いずれにしても、それらは単なる余興ということを超えて精神分析学の重要な一側面を形成していると言ってよいだろう。

空想(ファンタジー)の領分とは、苦しい思いをして快原理から現実原理に移行するにあたって設けられた「保護区」であって、そこでは現実の生活では断念を余儀なくされている欲動充足の代替が認められる。(18-126)


 つまり、芸術の中にはわれわれが現実生活では禁じられている秘かな欲望が表現されているのであり、その欲望が普遍的なために多くの人に満足を与えるのだという。ただ、それを知ったからといってすぐれた芸術作品を作れるかというと、そういうわけではない。そこはやはりセンスの問題なのかな。でもセンスっていったい何だろう。

 フロイトの芸術論は、さらに文化論につながっていく。「トーテムとタブー」、「ある錯覚の未来」、「文化の中の居心地悪さ」、そして「モーセという男と一神教」というシリーズは、晩年に向けてフロイトにとっての最大のテーマとなっていった。


2007.11.5

テーマ:書評 - ジャンル:本・雑誌

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重元寛人です。本名は佐藤寛といいます。
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