『みずからを語る』その後――1935年
『みずからを語る』その後――1935年(家高洋 訳 2007)
Nachschrift 1935 zur "Selbstdarstellung " (1935)
「みずからを語る」が書かれた10年後に、アメリカの出版社が「自伝」の再版を企画した時につけられた後日談。フロイトは「みずからを語る」を書いたときには、悪性腫瘍の再発で自分の生涯は間もなく終わるものと考えていたという。
幸いなことに、彼はその後10年以上にわたって生き、著作活動を続けた。フロイト全集にして4冊分以上の分量がその間に書かれている。
フロイト自身のあげる重要な著作としては、後期理論に修正を加えた「制止、症状、不安」がある。しかし、彼の関心はむしろ「トーテムとタブー」で切り開かれた文化的な問題に移っていった。
こうして書かれたのが、道徳と宗教の問題を扱った「ある錯覚の未来」と「文化の中の居心地悪さ」であった。そして、「その後」のさらに後、死の直前に「モーセという男と一神教」が書かれた。
それにしても、精神療法が単なるまわり道だったとは。
Nachschrift 1935 zur "Selbstdarstellung " (1935)
「みずからを語る」が書かれた10年後に、アメリカの出版社が「自伝」の再版を企画した時につけられた後日談。フロイトは「みずからを語る」を書いたときには、悪性腫瘍の再発で自分の生涯は間もなく終わるものと考えていたという。
幸いなことに、彼はその後10年以上にわたって生き、著作活動を続けた。フロイト全集にして4冊分以上の分量がその間に書かれている。
フロイト自身のあげる重要な著作としては、後期理論に修正を加えた「制止、症状、不安」がある。しかし、彼の関心はむしろ「トーテムとタブー」で切り開かれた文化的な問題に移っていった。
生涯にわたって自然科学、医学、精神療法へのまわり道を経てきた後で、私の関心は、かつて思索にも目覚めていなかった青年を魅了したあの文化的な問題に帰っていったのである。(18-138)
こうして書かれたのが、道徳と宗教の問題を扱った「ある錯覚の未来」と「文化の中の居心地悪さ」であった。そして、「その後」のさらに後、死の直前に「モーセという男と一神教」が書かれた。
それにしても、精神療法が単なるまわり道だったとは。
2007.11.9
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