マクシム・ルロワ宛書簡――デカルトの夢について
マクシム・ルロワ宛書簡――デカルトの夢について(高田珠樹 訳 2011)
Brief an Maxim Leroy über einenTraum des Cartesius (1929)
マクシス・ルロワの著書『デカルト――仮面の哲学者』に寄せられたフロイトによるコメントである。
全集の編注にはルロワの著作に掲載されたデカルトの夢が引用されていて興味深い。
通常、夢の分析はそれを見た人との対話を通じてなされるものなので、このような歴史的な夢の分析は限定される。
今回のデカルトの夢は、「上からの夢」と呼ばれ覚醒時の思考に近い観念形成であるため、その点については容易であったという。
つまり、夢についてのデカルト自身の解釈をそのまま受け入れればよい。
以下はルロワの著作からの引用。
ただしデカルトによる解釈にもおかしなところが少しある。そしてその部分こそが、深い無意識につながる重要なところなのかも知れない。
夢の中に出てくる「異国のメロン」という表象について、デカルトは「純粋に人間的な誘惑によって呈示されているとはいえ、孤独の魅力」と解釈している。
フロイトは「孤独な若者の想像力を虜にしたひとつの性的な表象を表すものかもしれません」と推測を述べている。
Brief an Maxim Leroy über einenTraum des Cartesius (1929)
マクシス・ルロワの著書『デカルト――仮面の哲学者』に寄せられたフロイトによるコメントである。
全集の編注にはルロワの著作に掲載されたデカルトの夢が引用されていて興味深い。
通常、夢の分析はそれを見た人との対話を通じてなされるものなので、このような歴史的な夢の分析は限定される。
今回のデカルトの夢は、「上からの夢」と呼ばれ覚醒時の思考に近い観念形成であるため、その点については容易であったという。
つまり、夢についてのデカルト自身の解釈をそのまま受け入れればよい。
以下はルロワの著作からの引用。
はなはだ愉快で、実に快適というほかにこの最後の夢は、彼によれば未来を指しており、自分の残りの人生の中で身に起こるはずのものを表しているに違いなかった。しかし、それに先立つ二つの夢を、デカルトは、神の御前であれ人前であれおよそ穢れなきものとは断じえない自らのこれまでの人生に対する戒めである、と見なした。(20-編注314)
ただしデカルトによる解釈にもおかしなところが少しある。そしてその部分こそが、深い無意識につながる重要なところなのかも知れない。
夢の中に出てくる「異国のメロン」という表象について、デカルトは「純粋に人間的な誘惑によって呈示されているとはいえ、孤独の魅力」と解釈している。
フロイトは「孤独な若者の想像力を虜にしたひとつの性的な表象を表すものかもしれません」と推測を述べている。
2014.12.2
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