FC2ブログ

2018-11

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

一九三〇年ゲーテ賞

一九三〇年ゲーテ賞(嶺秀樹 訳 2011)
Goethe-Preis 1930 (1930)

ゲーテ賞は1927年にフランクフルト・アム・マイン市が創設した文化賞で、フロイトはその第4回の受賞者になった。

↓Wikipediaの解説。現在でも3年ごとに選ばれているんだね。
ゲーテ賞

本文章は授賞式でなされた挨拶である。フロイト自身は病気で出席できなかったので娘のアンナ・フロイトが代読した。

フロイトにとって受賞は相当に嬉しかったようで、率直に思いを表現している。
講演の前半では、人間の心の本質をずばり言い当てるものとしてゲーテの言葉がいくつか引用されている。
さらにゲーテが精神分析にも通ずるような心理学的な行為をしていたことが紹介されている。

後半部分では、そのような偉人ゲーテを分析的研究の対象にすることへの弁明めいたことが述べられている。
ゲーテについての小論としては「『詩と真実』の中の幼年期の思い出」(1917)がある。こちらはあくまでも部分的な分析であったが、フロイトとしてはより本格的な分析を試みたかったのかも知れない。
それが進まなかった理由のひとつは、ゲーテが偉大な告白者であったと同時に「自らを丹念にベールで覆う人でもあった」からだという。

芸術家やその作品を精神分析の対象にすることについては、当時から、また現在でもいろいろ批判がある。
芸術を貶める行為だ、作品そのものを評価すればよい、など。

似たような行為であっても、伝記作家のそれは世間に容認されている。
しかしそこにだって、芸術家を称賛すると同時に、それを身近な存在として描き出すことによって結果的に価値下げをしようという意図があるのだという。

父親たちや教師たちに対して私たちが取る態度は、所詮、両価的(アンビヴァレント)です。というのも、私たちが彼らに向ける尊敬の念の下には、ふつう、敵対的な反抗の要素が覆い隠されているからです。これはひとつの心理学的な宿命であって、真実を力ずくで抑え込まないかぎり変えることができません。そして、私たちが生涯の歴史を探ろうとする偉人たちと私たちとの関係にも、これが累を及ぼさずにはおれないのです。(20-182)



分析することが対象を貶めることではないと言いながら、やはりそこには反抗的な気持ちが隠れていると告白しているようで少々矛盾しているようでもある。そこが両価的ということなのか。

現代の私がこれを読むと、フロイトがゲーテに投げかけたような気持ちを、フロイトに対して向けてしまうような気になるのであるが。
2014.12.10

テーマ:書評 - ジャンル:本・雑誌

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://shigemoto.blog105.fc2.com/tb.php/225-fe522fc0
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | ホーム |  »

カウンター

カテゴリー

最新コメント

プロフィール

Author:重元 寛人
重元寛人です。本名は佐藤寛といいます。
フロイト全集の読解を再開いたします。よろしく。


facebookページ

リンク

フロイト研究会フロイト研究会

さとうメンタルクリニックさとうメンタルクリニック

クリニック開業への道のりクリニック開業への道のり


X-day

ブログ内検索

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。