火の獲得について
火の獲得について(高田珠樹 訳 2011)
Zur Gewinnung des Feuers (1932)
本巻収録の 「文化における居心地悪さ」の脚注にある、原始人が火を獲得した経緯の推測について、その後の批判と議論を踏まえてフロイト自身の考えを補足的に述べたものである。
文化文明の発展において、火の獲得と利用は大きな出来事であったに違いない。前提としてフロイトが仮定するのは、原始人は最初自然において生じた火を持ち帰って維持し利用したのであって、自分で火を起こす技術を得たのは後になってからだろうということだ。
この「自然の火を持ち帰る」という出来事について、ギリシャ神話のプロメテウスの逸話を分析し再構成している。
神話はもちろん作り話であるが、そこには実際の出来事や人々の願望が投影され、込められているものと想像される。
プロメテウスは神々から火を盗み出して人間にもたらすのだが、その際に火を巨茴香(おおういきょう)の茎に隠すのである。
「巨茴香の茎」はペニスを象徴するものと解釈される。ペニスの中にあるものは尿=水である。そこで、火と水という対立がテーマとして出てくる。
燃え上がる炎は、屹立するファルスや性的な興奮をあらわす。それを鎮めるのが水である。性的に興奮したペニスと排尿とは相いれない、ということもこの対比と並行している。
自然に見つけた火を自らの小水で消そうとすることは、原始人にとって同性愛的な快に満ちた行為だった。この快を断念した時にはじめて火を持ち帰って利用するという道が開けた、というのがフロイトの推測である。
人間に火をもたらしたプロメテウスは、その罪により鎖につながれハゲワシによって毎日肝臓を食われる刑にあう。この罰にも性的な意味合いが込められている。と同時に、食われた肝臓がその都度再生されるとういうところに情欲の不壊が表現されており、欲動を断念した原始人にとっての慰めとなったのであろう。
2018.2.18
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