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2020-04

父親賛歌!

セーイチさんのブログ「発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版」の記事「強迫神経症の一症例に関する考察 」へのトラックバック記事。
そして「全集を読む」の7月27日の記事の再掲。

われわれは、つぎのような言葉でもって歩み始めるべきだったのかもしれない、そもそも幼年時代に父以外の誰が「偉大なる男」でありえたのか!(S・フロイト「モーセという男と一神教」より)

 フロイトは、個人の心理学においても、歴史分析においても、父の重要性を強調したことで知られている。このことから、ともすると彼が母の存在や母子関係を軽視したと捉えられることもある。
 フロイトの父親重視は、彼自身の生い立ちによるのではないかとか、いや彼自身の母子関係の重要性に気づいていなかったのではないかと、憶測する向きもある。
 もちろんフロイトといえども自らの個人的コンプレクスから完全に解放されていたわけではないだろうから、上記のような分析もあながち見当はずれというわけではないだろう。しかし、そのような視点だけで彼の理論を片付けてしまうのは残念なことだ。

 母子関係が重要であることはもちろんである。母は多くの場合子供にとって現実的にもっとも重要であり、なくてはならない存在だ。このことは、わざわざ強調しないでも皆が実感していることである。また、母子関係の重要性は、人間だけでなく他の霊長類でも同様だし、すべての哺乳類に共通の事情であろう。

 これに対して、父の重要さは人類と他の動物を区別する特徴として、特筆されるべきものである。それは母との関係に対立するものとして、歴史においても、個人の発達においても、精神性の飛躍にとって重要な転機となった。


追記(H19.9.29 セーイチさんのブログへのコメントより)


母親っていうのは、男の子にとっても女の子にとっても最初の対象であり、というより最初は対象ですらなく自分の一部のように思える存在なわけです。対象としての母親は目にも見え手にも触れる実体的な存在であり、そこには子供の直接的な欲望が向けられます。ところが、いろいろ事情があって子供は母子関係に安住できなくなり、父親という、遠くて抽象的な対象に向かわざるをえなくなる。それは、子供の心に取り込まれ、超自我としてがっしり根を下ろして、自我に厳しい圧迫を加えてくるのですが、それと同時に自我は超自我に愛されることを無上の喜びと感じ、すすんで超自我に気に入られるような振舞いをしようとするわけですね。
というようなことをフロイトは述べているのだと思います。


強迫というのは、病的なものであってもなくても、人間に普遍的にある性質なのでしょう。それは、自我の超自我への怖れとマゾヒスティックな愛情のあらわれなのだと思います。

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